新近江名所図会
新近江名所圖絵 第215回 古代近江の製鉄所―野路小野山製鉄遺跡
少なくとも、古代の近江国は、製鉄が盛んな「鉄の国」でした。県内各地には、古代の製鉄遺跡が確認されており、それらのいくつかは発掘調査が実施され、様相が分かってきています。今回は、そうした製鉄遺跡のなかから、現地で保存された遺跡例を取りあげて、紹介させていただくことにしましょう。
●古代の製鉄所
今回紹介します野路小野山製鉄遺跡は草津市野路町小野山にあります。史跡瀬田丘陵生産遺跡群のうちで最も北に位置する大規模な製鉄遺跡です。遺跡は丘陵先端の平坦な地形を利用しています。
野路小野山製鉄遺跡は、昭和54年から58年(1979年から1983年)にかけて、国道1号線京滋バイパス建設に伴い発掘調査が行われました。発掘調査の結果、製鉄炉10基、木炭窯6基、鍛冶炉1基、管理用建物1棟、工房跡11棟など、奈良時代の製鉄に関わる一連の遺構がそろって発見されました。これらの結果から、日本の古代製鉄の在り方をよく示す重要な遺跡として、昭和60年に国の史跡に指定されました。
その後、平成12年(2000年)に製鉄炉の地下構造を知ることを目的とした確認調査が、さらに平成17年(2005年)には史跡指定地の北側で確認調査が実施され、あらたに4基の製鉄炉が発見されました。
●大規模な製鉄活動
これまでの調査で製鉄炉は計14基が確認されています。これらの製鉄炉の操業時期や配置状況からは、7世紀後半の散発的な操業段階を経て、8世紀中頃には集中的な鉄の大量生産段階へ移行したという変遷過程が読み取れました。とくに、8世紀中頃の操業段階には、製鉄炉を9基並列させて、同時に稼働させた二つのグループが存在していた可能性があります。全国的にみても類例のない大規模操業が行われていたことがわかります。
ちなみに、野路小野山製鉄遺跡で生産された鉄は、主に紫香楽宮や近江国府に供給されたと言われています。
●遺跡の現状
野路小野山製鉄遺跡は、国道1号線京滋バイパスの「野路中央」交差点(写真1)の北東側が国の史跡地となっており、遺構は地面の下に埋め戻されて保存されています(写真2)。「野路中央」交差点の北東側の国道が低い高架となっているのは(写真3)、道路下の史跡地となった遺構を保存するためなのです。そして、低い高架の北東隅には、野路小野山製鉄遺跡の説明板があります(写真4)。ここに立つと、国づくりを支えた工人たちの鉄づくりにかける意気込みが感じられるようです。
●周辺のおすすめ情報
遺跡から北約1㎞にはJR南草津駅があり、遺跡と駅との間には旧東海道が横ぎっています。旧東海道沿いには一里塚、教善寺、平清宗の胴塚、願林寺、子守り地蔵、萩の玉川などの旧跡があり、旧東海道を歩くと、往時の雰囲気を味わうことができます。
アクセス
【公共交通機関】JR東海道本線南草津駅下車徒歩約17分
(大道和人)