オススメの逸品
調査員のオススメの逸品 第246回 東日本からの使者?大津市滋賀里遺跡出土遮光器土偶
今回の調査員のオススメの逸品では、縄文時代の土偶を紹介したいと思います。土偶は調査員のオススメの逸品のなかでもすでに守山市赤野井浜遺跡出土の屈折土偶や、甲良町小川原遺跡出土のハート形土偶が紹介されています。今回は最も有名であろう、遮光器土偶について紹介したいと思います。
遮光器土偶は東北地方を中心に見つかっている縄文時代晩期の土偶です。その特徴は、遮光器土偶の名前の由来となったゴーグル状の目です。大きな楕円形の目にまるでメガネの縁のような表現がされ、強く印象に残ります。土偶の作りは中空つまり、中が空洞になっており、さらに土偶に施された細部までの文様は素晴らしいもので、日本列島で出土した土偶2万点の頂点と言っても過言ではありません。
ところで、土偶とは何でしょうか。よく埴輪と間違われる方が入らっしゃいます。しかし土偶と埴輪はまったくの別物です。簡単に言うと、土偶は縄文時代に粘土で作られた「ひとがた」のもの、埴輪は古墳時代に粘土で作られた円筒形や「人物」など様々なものです。また、土偶はその使い方がよくわかっていないのに対し、埴輪は古墳に並べられるために作られたものとはっきりと分かっています。
さて、土偶に話を戻しますと、紹介するのは大津市滋賀里遺跡出土の遮光器土偶です。滋賀里遺跡は、現在の京阪石坂線滋賀里駅周辺に、南北約900m、東西約500mの範囲に、縄文時代から中世までの遺構や遺物が見つかった複合遺跡です。滋賀里遺跡は当時の国鉄湖西線の建設のための発掘調査が昭和46年(1972年)から昭和48年(1973年)にかけて実施されました。この調査で縄文時代晩期のお墓や貝塚などが見つかり、遮光器土偶の破片はこの貝塚から出土しました。
写真左上は遮光器土偶の頭部の、左目から左耳の破片です。左目は特徴的な遮光器の表現がはっきりと分かります。左耳は半円状に表現され、中央付近に孔があります。全体に赤色の顔料が残っていますので、作られた当時は真っ赤な土偶だったと考えられます。内側をみると、粘土が波状になっています。これは縄文土器のように粘土紐を積み上げた痕跡です。すなわち、この土偶は、土器と同じように粘土紐を積み上げた、中空の土偶だということが分かります。
写真右下は肩部の破片です。前面に目の細かい縄文や沈線によって文様が施され、、遮光器土偶によくみられる、リボン状の小さな突起を持っています。
縄文や文様のパターンは東北地方の土器にそっくりですので、この土偶は東北地方からやってきたか、遮光器土偶の作り方に精通している人物が作ったものと考えられます。
さて、滋賀里遺跡からは、近畿地方の縄文時代晩期の土器だけでなく、東北地方や北陸地方の土器が出土しています。このことから、滋賀里遺跡はこれらの地域と交流があったと考えられています。これは、東北地方や北陸地方の土器が自分で歩いてくるわけはないので、東日本から滋賀里遺跡へ、または滋賀里遺跡から東日本へと、縄文人の交流の証拠です。東日本から様々なものが滋賀里遺跡へやってきたことでしょう。その中にこの遮光器土偶もあったのです。その造形の美しさは当時の縄文人の目にはどう映ったのでしょう。精緻な細工を施されたうえ、真っ赤に塗られた姿は、まさに東日本からの使者だったのではないでしょうか。
現在、滋賀県立安土城考古博物館では平成30年度秋季特別展『キミそっくりな古代人がいたよ-原始・古代の人物表現-』と題した展示を開催中です。滋賀県を中心として、縄文時代から古墳時代までの、人物を現したであろう考古資料を展示しております。顔があったりなかったり、端正な顔立ちからちょっと不思議な顔まで、様々な人物表現の資料を展示しています。今回紹介した滋賀里遺跡出土の遮光器土偶をはじめ、様々な土偶たちも待っています。会期は平成30年12月2日(日)までですので、是非お越しください。※特別展は終了いたしました。
福西 貴彦