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新近江名所図会

新近江名所圖會 第452回 相撲の西・東のルーツか? 竹相撲と信長の足跡 ―近江八幡市新宮大社―

近江八幡市

 大相撲を観ていると、力士が土俵に上がる前に「呼出」とよばれる係が独特の節回しで力士の四股名を呼び上げるシーンがみられます。たとえば、「にーしー、●●山、ひがーしー、▲▲海」といった具合です。では、なぜ、相撲には西と東があるのでしょうか。答えは諸説ありますが、その一つに織田信長が関わったという説があります。そして、今回紹介する新宮大社はその舞台になったと伝わる場所として知られています。 

写真1

 新宮大社は、近江八幡市安土町下豊浦にあります(写真1)。織田信長が安土城を築いた安土山の西側に位置しています。社伝によると、天承元年(1131年)に紀州熊野の神を勧進したことが始まりとされています。御祭神は大宮にイザナミノミコト・コトホギノオノカミ、若宮にアマテラスオオミカミ、聖社にニニギノミコト、早玉神社にハヤタマノオノカミ、津島神社にタケハヤスサノオノミコトを祀っています。

写真2

 神社の鳥居をくぐって最初に見えてくるのが茅葺の拝殿です(写真2)。床を張らない土間形式の建物で、建立年代は江戸時代後期と考えられています(写真3)。土間形式の拝殿は県内でも珍しいもので平成15年に近江八幡市指定有形文化財に指定されています。

写真3

 拝殿の奥にある大宮社は、正徳2年(1712)に建立されたもので、三間社流造前室付・銅板葺(もとは檜皮葺)です(写真4)。精美な建物で、こちらも平成15年に近江八幡市指定有形文化財に指定されています。

写真4

 それでは新宮大社と相撲の西・東にはどのような関わりがあるのでしょうか。これについては以前、NHKの人気番組「■■ちゃんに叱られる!」や「ブラ●●●」でも取り上げられたことがあるのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、ここで改めてご説明いたします。

 相撲は、もともとは神事でしたが、鎌倉時代には武術として広まり、安土桃山時代にも武士たちの間で盛んに行われていました。大の相撲好きだった織田信長、なかでも特に好んだ相撲の一つが竹相撲でした。竹相撲とは大竹の両端を互いに掴んで逆方向に捩じりあって力比べをするというものです。

 当時、この竹相撲には馬次郎と伝蔵という2人の強者がいて、互角の勝負を繰り広げる両者の竹相撲では途中で竹が割れてしまい勝負がつかないこともあったとか。信長は安土城下で催した竹相撲での両者の健闘をたたえ、2人に名字を与えました。このとき西にいた馬次郎には西、東にいた伝蔵には東の名字を与えたのです。これが今日にまで続く相撲の西・東のルーツだそうです。

〔おすすめPoint〕

 新宮大社の拝殿には竹相撲のようすを描いた絵馬が飾られています(写真5)。この絵馬は西と東の名字を継承する子孫らによって平成27年に奉納されました。絵馬は縦1.2m、横2.1m。織田家の家紋を背景に、力士が大竹を捩じり合う様子を地元出身の画家、塩谷栄一氏が描いたものです。筋骨隆々の力士の力強い描写は一見の価値あり。特別史跡安土城址からも近いので、ぜひ、訪れてみてください。

写真5

〔周辺のおすすめ情報〕

 おすすめは何といっても今年築城から450年を迎えた安土城です。この記念すべき年に織田信長が築いた城と城下町を散策しながら、安土に残る信長の足跡を辿ってみてはいかがでしょうか。きっと良い思い出になるでしょう。秋は紅葉も楽しめますよ。

 なお、滋賀県立安土城考古博物館では、2026年10月10日(土)~11月15日(日)の会期で令和8年度秋季特別展・安土城築城450年記念「天下人の城下町 安土」を開催します【詳細はコチラ】。重要文化財の安土山下町中掟書(近江八幡市蔵)や徳川家康禁制―長命寺文書―(近江八幡市長命寺蔵)なども展示し、城下町の成り立ちや実像に迫ります。

(調査課 宮村誠二)  宮村誠二の活動状況は【コチラ】

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