新近江名所図会
新近江名所圖會 第456回 徳川家康の伊賀越えゆかりの寺-清涼山明王寺-
天正10年(1582)6月2日、織田信長が明智光秀に襲撃された本能寺の変が起こりました。当時、堺を訪れていた徳川家康一行は明智光秀に襲撃される可能性もあったことから、即日、本国三河にとって返すため、堺を経ちました。その時、堺から京・近江を抜ける主要街道は明智軍に抑えられ、家康一行は甲賀・伊賀の山中を越えるルートを選びます。これがいわゆる「神君伊賀越え」になります。
伊賀越えのルートは、6月2日に堺を経ち、山城国宇治田原に宿泊、3日に近江国甲賀郡の多羅尾光俊館(信楽町小川)に宿泊、4日に信楽から柘植・加太・関・亀山を通過して伊勢に出て航路を使い、三河に帰ります。このうち、6月4日の多羅尾光俊館から柘植に向かうルートがはっきりしていません。徳川氏の公的記録である『徳川実紀』では、多羅尾光俊館から御斎峠を越えて伊賀丸柱(伊賀市)へ抜けたとします(図1 ①ルート)。当時の一次資料では家康が堺を経って帰路についた(『鷺森日記』)、伊賀・伊勢を抜けて三河大浜に至った(『家忠日記』)としか記されず、詳細ルートは残されていません。

伊賀越えからしばらく経過した17世紀前半に成立した『寛永諸家系図伝』、『戸田本三河記』、『石川忠総留書』などにやや詳しいルートの記載があります。『寛永諸家系図伝』や『戸田本三河記』に信楽に宿泊し、多羅尾光俊が道案内をしたという記述や和田定教に関する記述に甲賀を通過したことが記されます(②ルート)。『石川忠総留書』は伊賀越えにも同道した大久保忠隣の子息である石川忠総の著作で、そこには神山(信楽町)から桜峠を通過して伊賀丸柱に抜けたと記されています(③ルート)。概ねこの3ルートが伊賀越えのルートとして想定されています。
これらの他に、第4のルートとして五位ノ木峠越えというものがあります。これは信楽町神山から東に向かい、甲南町杉谷・磯尾の南方を掠めて柘植に出るルートです。このルートに近接する場所にあるのが今回紹介する明王寺です。

おすすめポイント
明王寺は甲賀市甲南町磯尾に所在する天台宗の寺院です(写真1)。明王寺は延暦年間(782~802)に伝教大師最澄が比叡山の建立に先立って材木を求めに当地に来たところ、悪病に悩む里人のために夢のお告げによって五大明王を作ったといいます。その後、里人の病が治ったことから、報恩のために五大明王を安置する堂宇を建立したことに始まると伝わります。現在の本堂(写真2)には、不動明王、降三世明王、軍荼利明王、金剛夜叉明王、大威徳明王の五大明王が祀られます。また、明王寺最古の仏像である、十一面観世音菩薩が安置されていて、平安時代後期から鎌倉時代にかけて作られたものと推定されています。

明王寺は本堂が高台に建てられていて、庫裏や書院などを見下ろす位置にあります(写真3)。明王寺には庭園も造られていて、四季折々の姿を見せてくれます。訪れた時にはまだ紅葉シーズンには早かったため、青々としていますが、これからのシーズンは紅葉が美しい風景が見られそうです。

さて、この明王寺は伊賀越えとのかかわりがあると推定されるお寺なのですが、それには理由があります。この寺院伝来のものの中に、「徳川四代之御位牌」というものが見つかっているのです。これは、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光、徳川家綱の徳川将軍の戒名が刻まれた位牌で、神君伊賀越えとのかかわりが注目されるものとして見られています。この位牌が残されていることで、徳川将軍家とのつながりが想定されて、伊賀越えの時に通過した可能性もあるとしています。この位牌は事前に予約をすれば拝観できます。
では、先に示した伊賀越えの多羅尾光俊館から柘植間のルートの妥当性はどう解釈されているかという問題があります。三重大学の藤田達生氏の「『神君伊賀越え』再考」などをもとにすると、一番可能性が高いのは図1の③ルート、すなわち信楽町神山から桜峠を抜けて伊賀丸柱に至るルートとされます。一方で、②ルートは甲賀衆の山中氏(水口町宇田)・和田氏(甲賀町和田)に伝来する文書に家康の逃避行に関する古文書があることから可能性は捨てきれないとしています。『徳川実紀』に記載される①ルートの御斎峠越えは、本能寺の変の前年にあった天正伊賀の乱で一揆の中心地であった上野に近づくことは避けたのではないか、と考えられています。
④ルートの明王寺付近を通過するルートの文献的根拠は弱いですが、物的証拠として可能性があるとも受け取れます。今後の研究などで新たな発見があるかもしれません。
周辺のおすすめ情報
明王寺から車で5分ほど甲南市街地方面にむかうと、甲賀流忍術屋敷や甲賀流リアル忍者館(いずれも甲南町竜法師)、さらに5分ほど車を走らせると甲賀の里忍術村(甲賀町隠岐)といった甲賀忍者にかかわる施設があります。これらで家康の逃避行を手助けした甲賀忍者体験などしてみてはいかがでしょうか。
グルメであれば、成田牧場(甲南町新治)のジェラートや古民家れすとらん忍夢庵の近江牛ランチ(写真4)など地元のもので舌鼓を打ってみませんか。

【アクセス】
明王寺 甲賀市甲南町磯尾1972
自動車の場合:新名神高速道路甲南インターチェンジから約5分(駐車場有)
(調査課 福井知樹) 福井知樹の活動状況は【コチラ】
◆◇◆ あわせてのご案内 ◆◇◆
令和8年度秋季特別展・安土城築城450年記念「天下人の城下町 安土」
450年前、尾張国(愛知県)から台頭して天下静謐を目指した織田信長は、近江国(滋賀県)安土で、壮大な城の建築に着手し、そのお膝元に新たな城下町を築きました。彼がとったさまざまな工夫により、町は大いに賑わい、その後の城下町のモデルとなって、大坂、江戸へと引き継がれていきました。その起点となった安土城下町の形成過程や実態を残された資料から探ります。
会期 2026年10月10日(土)~2026年11月15日(日)
詳細 コチラをご覧ください
