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調査員オススメの逸品第159回 日本最古の起請文 -長浜市・塩津港遺跡出土52号木簡-
古典落語に「三枚起請」という演目があります。江戸時代の遊郭では、客と遊女の間で、「遊女の雇用期間が満期になれば客と結婚をする」という内容の「起請文」と呼ばれる書類を取り交わすことが流行しました。万一誓いを破れば遊女の身に神罰が下されます。この落語のあらすじは「母親が夜遊びのすぎる息子を大工の棟梁に諫めてもらったところ、息子は遊女が年季明けには結婚をするという起請文を出して自慢します。棟梁が見ると自分も同じ遊女からの同じ内容の起請文を持っています。さらに、その場に現れた呉服屋の若旦那も同じ遊女の起請文をもっていました。同じ起請文が3枚そろいました。」このように、江戸時代になると起請文の権威も薄れ、庶民の間でも乱発されていたようです。
さて、琵琶湖の最北端にある塩津港遺跡では、平安時代後期の神社遺構が見つかりました。神社はおよそ50m四方、幅約2mの溝で囲まれていました。正面の溝を中心に約300点の木簡が見つかり、その木簡のほとんどは起請文が記されていました。52号木簡はおよそ長さ1.4m、幅13㎝の卒塔婆のような木の板で、表面にびっしりと起請文が記されていました。起請文の出土例は初めてであり、さらに記された年号から日本最古の起請文であることが判明しました。
板に三段書きされた内容は、まず巻頭に神への祈りの言葉である「再拝」の文字を大書きし、起請文を記した年月日である保延3年(1137)7月29日が続きます。上段から中段にかけ神々の降臨を願い奉ります。神々は天上界の梵天・帝釈から始まり、下界では都を護る石清水八幡を始め王城鎮守の神々、近江国の守護神である日吉山王七社、地元守護神は塩津五所大明神や津明神、さらには日本国中の八百万の神々を書き連ねます。下段には誓約文と、誓いを破った場合の罰文が続きます。内容は「草部行元(くさべゆきもと)は請け負った荷物の魚の一巻も失うことはありません。もし失ったなら体中の八万四千の毛穴から神罰仏罰を受けてもかまいません」と誓っています。誓約の内容からみて、この起請文を書いた人物の草部行元は、琵琶湖を船で物資を運搬する船主と考えられます。古くから、塩津は北陸から京都へ琵琶湖の水運を利用して物資を運搬する港として栄え、多数の船舶業者が集まっていました。船主は預かった荷物を一品も無くすことなく安全に運びことを使命としていました。
「三枚起請」にみる江戸時代の起請文は神威も地に落ちていますが、平安時代の起請文の威力は絶大だったようです。当時、病や死はすべて神仏のなせるわざと考えられ、病の原因は体中の「毛穴」から進入した神仏の罰が体を犯し、やがては死に至ると考えられていました。まさに「身の毛がよだつ」状態であったと思われます。鎌倉時代になるとさらに「現世では白癩・黒癩の重病にかかり、来世では無間地獄に堕ちる」とする罰文が書かれ、現世・来世の二重の恐怖を記した起請文が出現します。
目に見えない病や死の原因、恐れは人の皮膚の毛穴から進入し、人間を苦しめるものであったことがわかります。中世民衆の精神史や皮膚感覚、身体感覚を塩津の起請文からかいま見ることができるのです。
(濱 修)