オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品 №307 焼けた粘土のカタマリー焼成粘土塊/その正体は? ー
「粘土を捏ねて粘土紐を作り、その粘土紐を積み上げて土器の形を作り、表面に文様をつけて、乾燥させて、火で焼く。」これは縄文土器そのものを丁寧に観察することで見えてくる、縄文土器を作る大まかな工程・手順です。その中で、「土器を焼く」ということに関しては、以前このコーナーで、とても堅く焼け締まった縄文土器片の話をご紹介しました(「調査員のおすすめの逸品」№269 堅く焼け締まった縄文土器)。縄文時代の土器焼きについては、「野焼き」という、たき火やキャンプファイヤーのような火の中で土器を焼くという方法が一般的だったとされていますが、果たしてその「堅く焼け締まった土器」はそんな焼き方で本当に焼けるものなのか、この課題については、未だ明確な答えは見つけられていません。ちなみに、縄文時代の「火」に関わる遺構は、縄文時代を通じて数種類が見つかっていますが、具体的に「土器焼き・土器の焼き方」を想像できるような状況のものは、少なくとも滋賀県の縄文時代では今のところほとんど見つかっていません。
つまり具体的に「どこで、どんな風に、縄文土器を焼いていたのか?」ということは、実は明確にはよく分かっていない、とも言えるでしょう。
実は、それを考えるヒントになるかも知れない、そんな遺物があります。「焼成粘土塊」と呼ばれる、「焼けた粘土のカタマリ」です(写真1)。提示した資料はその1例で、 守山市赤野井湾遺跡(浚渫A調査区)で出土したものです。縄文時代早期の土器などと一緒に、 3点の焼成粘土塊が確認されています。いちばん大きいもの(写真左端)で、長さ約6㎝、幅約3.5㎝、小さいもの(写真右端)でも長さ約3㎝、幅約3㎝を測ります。
この焼成粘土塊、丁寧に観察すると、いくつかの特徴が見受けられます。
①いずれの粘土塊も【焼けている】ということ
②「【粘土紐】を手の中で丸めた」ような形をしているものが見受けられること。
③いわゆる【混和材】が確認できるものと、ほとんど認められないものがあること。
ちなみに③の混和材というのは、土器の生地になる粘土に混ぜられた素材のことで、鉱物では石英・長石・雲母・チャート・角閃石・黒曜石など、それ以外ではいわゆる「繊維(動植物由来の繊維質)」や「海綿骨針」、「焼けた粘土の粒」や「木炭」、などなど、地域や時代によって、その混和材の様子・特徴は様々で、実に多様なものが確認されています。なお、素地粘土に混和材を加える目的としては、土器を焼いた際に焼け歪みや縮みを生じにくくしたり、焼き上がった土器そのものを軽量化することを意図していたり、その土器を作った個人あるいは集団の好みやこだわりなどを示していたり、、などなど様々な可能性が考えられています。
写真1左端の例では、特に下半分で、「太さ1㎝前後の粘土紐が丸められている」ようにも見えますし、同様に表面には「小さな孔」が見られることから、「混ぜられていた繊維」が火を受けたことで、焼け落ちた可能性が考えられます。一方で、右側の2点は、一見して特に混和材があるようには見受けられず、素地粘土のみが焼かれたもののようです。
いずれの粘土塊も、土器作りの最中に生じたものが、偶然火を受けてしまったのか、あるいはなにがしかの目的で、火の中に入れられたことで、結果として焼けてしまったのか、明確にはわかりません。ただ、その解釈の一つに「焼け歪み・縮みの度合をみるために、製作した土器と同じ粘土を火にかけてみたのでは?」という指摘もあります。特に左端の粘土塊のように、「粘土紐を積み上げ」る際に、余分な粘土紐を手の中で丸めたかのような塊、つまり土器の製作過程で生じたであろうものが、火を受けた状態で確認されたことは、その解釈を裏付ける証左としても考えられそうです。その場合、「土器作り空間」の近くに「土器焼き空間」もあり、手近にあった粘土塊を試し焼きに利用した、と考えるのは色々な意味で違和感はないような気もしますが、皆さんはどのように思われますか?
(鈴木康二)