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新近江名所図会

新近江名所圖会 第348回 ちょっと昔の白髭神社―西近江路をたどる―(前編)

大津市

湖中に佇む鳥居の景観とパワースポットとして人気の白髭神社は、日本遺産「琵琶湖とその水辺景観―祈りと暮らしの水遺産」の構成文化財として認定されています。神社の縁起等については新近江名所圖会第24回でも紹介されていますが、今回はちょっと昔の神社周辺の様子をみてみます。

写真1 白髭神社の古写真(絵葉書より)
写真1 白髭神社の古写真(絵葉書より)

歩いて通った西近江路
[写真1]は明治の終わりか大正時代ごろの白髭神社の写真です。現在の写真[写真2]と見比べてください。昔は拝殿のすぐ前に鳥居があり(湖中の鳥居とは別の鳥居)、そして琵琶湖でした。今と違って昔の白髭神社は琵琶湖にもっと近く、江若鉄道(昭和44年に廃線)(※)も国道161号もありませんでした。白髭神社は琵琶湖に直接面していた神社だったのです。

写真2 現在の白髭神社
写真2 現在の白髭神社

昔の写真を見ると、鳥居と湖岸との間に空間があります。幅2mほどの狭い道です。これがかつての西近江路です。神社の裏手は山塊が急な傾斜で迫っていますので、西近江路(今の国道161号)は神社と湖岸の間の隙間のようなところを通らざるを得なかったようです。[写真1]では道は神社の前を通り過ぎると突き当たりのように見えますが、道は山側に小さく屈折していました。道は神社の境内を避けるように鈎の手状に曲がり、琵琶湖側に迂回していたのです。これに取り付く道が今も残っています。大津側は白ひげ食堂の山側にある細い道が旧道となります。[写真3]

写真3 旧道(大津側)
写真3 旧道(大津側)

高島側の旧道は湖岸を避けて軽く湖岸を高巻くコースになります。[写真4] 山の中に入って行きますが、ほぼ等高線に沿った道の痕跡が残っています。1000年以上の歴史のある道です。しかし今は忘れ去られ消滅しかかっています。しばらく行くと道の真ん中にイノシシを捕まえるための檻が置かれたりしています。

写真4 旧道(高島側)
写真4 旧道(高島側)

昭和の初めでも、大津と高島を行き来するのには、この狭い道しかなかったのです。まだまだ人の往来や荷物の行き来は少なく、この程度の道で十分だったのでしょう。物流は船運に頼ることが多かったのです。

ちなみに、湖中の鳥居は古い絵などから古くから存在していたことは確認できるのですが、[写真1]の時にはありませんでした。鳥居は昭和12年に改めて建てられ、昭和56年に再築されたものです。
やがて、鉄道や道路が神社前を通るようになりますが、それについては次回にご紹介します。

※江若鉄道:近江と若狭をつなぐという意味からそれぞれの一字をとって、付けられた名称。大正10年(1921)に三井寺下―叡山間が開業したのち暫時延伸、昭和6年(1931)に浜大津―近江今津間が開通。若狭までの延伸は実現することなく、昭和44年(1969)に廃止。運行当時の江若鉄道は、浜大津―今津間51キロを約1時間半で結んでいました。現在の湖西線大津京―今津間の所要時間は約40分ですから、約2倍の時間がかかっていたのです。しかし、江若鉄道ができるまでは、湖西へは汽船で半日かかっていたため、この開通は大きな進歩でした。

◆アクセス
JR湖西線近江高島駅から3㎞、徒歩約45分。古道ルートは徒歩1時間。高島駅構内観光案内所にてレンタル自転車あり。予約乗合タクシーで13分。
(横田洋三)

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