オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品 №350ー「なぜこの絵が安土城考古博に⁉」―希少な名品・葛蛇玉筆『鯉魚図』
安土城考古博物館は歴史博物館なので、歴史事象を示したり考察できる資料を主に展示しています。絵画や工芸品などの美術作品も展示ケースに並びますが、その美を堪能する前に、歴史的にどういう意味があり、どういう事実が秘められているのかということを、ついつい知性的に「考え」てしまうのは、歴史博物館の悲しい性分かも知れません。
しかし、数は多くありませんが、感性で鑑賞した方がよい素晴らしい美術作品も、収蔵しています。今回紹介する、東近江市の曹源寺(そうげんじ)から寄託を受けている、葛蛇玉(かつじゃぎょく)筆「鯉魚図(りぎょず)」は、その中でも指折りの名品です。
葛蛇玉は、18世紀後半に大坂で活躍した画家でした。生前は評判の高い画家で、好んで鯉の絵を描くことから、「鯉翁(りおう)」の異名を取るほどでしたが、その後は歴史の波に呑まれ、作品も忘れ去られてしまいました。ところが1976年、伊藤若冲(じゃくちゅう)の価値を見いだしたことで知られるアメリカのジョー・プライス氏が所蔵する奇抜な屏風「雪夜松兔梅鴉図(せつやしょうとばいあず)」が紹介され、作者である蛇玉も、にわかに注目されるようになったのです。しかしそれから50年近くを経ても、蛇玉の作品はまだ、全世界で12件15点しか確認できていません。
そのうちの1件3点が、この鯉魚図なのです。状態が悪かったのでなかなか展示できませんでしたが、平成30年度に住友財団の文化財維持・修復事業助成受けて保存修理を行った結果、当時の素晴らしさが蘇りました。
細長い画絹(えぎぬ)に、向かって右から、新緑の柳の下で頭部を川面に出して舞い散る桜の花びらを見つめる春の鯉、氷の割れ目から飛び出して吹き付ける雪の中で後方宙返りをする躍動的な冬の鯉、涼しげな清流を遮る色鮮やかな簗(やな)を飛び越えようと宙を舞う夏の鯉を、それぞれ描いています。大胆な構図も面白いのですが、逆に細部の表現は、非常に丁寧かつ繊細です。修理で分かったことですが、蛇玉はこの絵を描くにあたり、当時はあまり用いられなくなった目の粗い絹に、裏からも絵具を施す裏彩色(うらざいしき)の技法を取り入れ、裏と表の両方からしっかりと彩色を施す部分と、透かしを利用する表現を併用しています。冬図の鯉の腹や氷の光沢を出すために、絹裏から雲母(きら)という素材を施していることも分かりました。ほんの一部ですが、繊細な表現のアップ写真をお見せしましょう。(写真1~4)
また、色彩の濃淡の具合を最も理想的に表現するため、冬図では、ほぼ完成している絵の上から白い顔料である胡粉を雪に見立てて勢いよく散らし、背景とのコントラストに納得がいかなかったのか、裏から再度薄墨を施していることも、修理の際の実験で判明しました。
今回の修理は、実は蛇玉が描いて表具してから初めての修理だったことも分かりました。すなわち、表具裂(ひょうぐぎれ)や取り合わせ、大きさやバランスなども、すべて蛇玉が考えて作り上げたものだったのです。
感じ方に個人差があるとは思いますが、私はこの絵を前にしていると、なんとも言えないオーラのようなものを感じてしまいます。多くの資料や作品を長年見てきましたが、ここまでの力強さと迫力を感じる作品は、そうないと言っても過言ではありません。
滋賀県立安土城考古博物館では2月4日から、企画展「琵琶湖文化館収蔵品にみる四季」を開催していますが、これに合わせて鯉の四季(正確には三季)を描いた本作品を、第2常設展示室のケースで、公開しています(4月2日まで)。私が感じているオーラを皆さんも感じることができるのかどうか、お試しいただけたらと思います。
(高木叙子)