オススメの逸品
調査員オススメの逸品 第196回 今に続く、古代の防水技術-槇皮(マイハダ)
今回、紹介する一品は「槇皮」です。この字面だけをみてすらっと読めたあなたは、これが何かご存知でしょう。しかし、そのような人はほとんどいないのではないでしょうか。「マイハダ」または「マキハダ」と読みます。読みはこれで良いとして、では、何なのかということです。これを広辞苑(第6版)で引いてみると(さすが広辞苑!載ってます)=「ヒノキやマキの内皮を砕き、柔らかい繊維としたもの。舟・桶などの水漏れを防ぐため、合わせ目または接ぎ目に詰めこむ」とあります。つまり、防水用充填材、コーキング材です。今でもグーグルなどで検索すると、木造船の補修用に使う目的で販売されていることがわかります。
さて、この「槇皮」ですが、船・桶等に使われていたわけですが、いつごろから使われていたのでしょうか。その答えの一つが、最近、発見された滋賀県長浜市の塩津港遺跡出土の船材です。この船材は12世紀代(平安時代の終わり頃)の「板作りの構造船」の部材と考えられるもので、材の一部に生まれたひび割れに縄状に加工した「槇皮」が詰められていることが確認されました。水漏れを防ぐために詰め込まれたと考えられます。そして、この事例では、補修に使われていましたが、造船時にも材と材の接ぎ目の防水に使われる技術です。塩津港遺跡の出土品に確認できた「槇皮」は、現存するものとしては国内最古例と位置づけることができますが、おそらく、この技術は木造船を制作する際には必須の技術と考えられることから、木造船(構造船)が登場した段階(古墳時代か)ではすでに存在していたと思われます。
この塩津港例ほど古くはありませんが、遺跡から出土した「槇皮」の事例をもう一つ紹介したいと思います。それは江戸時代の導水管の継手です。つまり、水道管のジョイントです。現在の水道管は、太いものは鋳物、細いものは塩化ビニル製であったりしますが、江戸時代の水道管は竹を使っていました。当然、長い距離に対応しようとすると、竹の長さにも限界がありますので竹を接ぐための材が必要となります。その役割を果たしたのが丸太を加工してつくった継手です(写真2:近江八幡市安養寺遺跡、写真3・4:長浜市長浜城遺跡出土品)。丸太の側面を削って断面形が隅丸方形になるように加工し、竹を差し込めるように孔をあけます。孔は接続する方向によって「ストレート」であったり「L字」であったりします。そして、あけた孔に竹を差し込んで接ぐわけですが、そこで登場するのが「槇皮」です。竹を孔に差し込んだ後に、竹と丸太材の隙間に「槇皮」を詰め込むのです。写真4の例では、縄状に結った「槇皮」が詰められているのがわかります。これにより漏水するのを防ぐのです。
今では、防水用の素材にはシリコンなどが使われていますが、天然素材として古くから、そして広範な用途で使われてきた防水技術=「槇皮」、これなくしては船、桶・樽の登場はなかったといえます。まさに先人の知恵が詰まった逸品ではないでしょうか。(堀 真人)