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調査員おすすめの逸品第153回縄文時代の始まりを知らせる石器―相谷熊原遺跡出土の有溝砥石(矢柄研磨器

東近江市

このコーナーのネタに何度も登場する遺跡というのは、それだけ資料価値の高い遺構や遺物が見つかっている遺跡だといえます。私にとっては困ったときの「相谷頼み」といっても過言でないくらい、調査を担当した東近江市相谷熊原遺跡からは、このコーナーにネタを提供願ってきました(№59「竪穴建物」・№110「石冠・土冠」・№117「長脚鏃」。№30「土偶」は一緒に調査を担当した同僚が執筆しました)。

相谷熊原遺跡の資料的価値については何度も述べてきたところですが、縄文時代草創期の生活痕については、長期間の使用が考えられる深さ1m前後の竪穴建物を作っていたことや、精神的な造形物である土偶(しかもきわめて写実的!)をすでに製作していたことなどが明らかになったことは特筆すべき点でしょう。これらの調査成果によって、旧石器時代から縄文時代への過渡期の段階では人々はまだ遊動的な生活を送っており、住居といっても簡易なテント程度のものしか使用していなかったという想定や、獲物を追って食うや食わずの遊動生活を送っているような人々が写実的な造形なんか出来るわけないだろう、という現代人である私たちの思い込みは見事に打ち砕かれてしまいました。このように、私たちの想定を超える発見が過去から導かれることこそが、考古学の醍醐味といえるのかもしれません。

さて、今回のおすすめの逸品では、これら相谷熊原遺跡の資料を縄文時代の始まり頃(草創期)の資料と位置づけるにいたった石器を紹介します。それは矢柄研磨器(やがらけんまき)だとか、有溝砥石(ゆうこうといし)とよばれる砥石ですが、縄文時代草創期に突如現れて消えていくと考えられている不思議な石器です。相谷熊原遺跡では調査区内から合計15点の有溝砥石が出土しており、このうち竪穴建物跡から出土したものは11点を数えます。

写真 相谷熊原遺跡から出土した有溝砥石
写真 相谷熊原遺跡から出土した有溝砥石

この石器の特徴としては、以下の点が挙げられます。
① 大きさは手のひらですっぽり握れるサイズ。かたちは「卵を二つ割りしたような」ものが基本形とされていますが、明太子を思い浮かべたほうがよりリアルかもしれません。相谷熊原では丸みを帯びた扁平・棒状の石材も使用されています。
② 使われている石材は砂岩。大半は赤みを帯びていますが、火を受けた痕跡だと考えられます。表面がザラザラした粗いものと、比較的キメの細かいものの2種類が認められます。
③ 表面のうちの平らな面に、溝が1本入ります。溝の幅は1~2㎝の間におさまるものが大半です。いっぽう、溝の深さについては0.5㎝以下の浅いものが大半を占めていました。相谷熊原から出土した砥石のなかには、溝が何本も入っているものもありましたが、基本的には各面1条を基本としていました。
さて、この砥石の使用方法について、弓矢で使用する矢柄をこの砥石ふたつで挟み込み、しごいて真っ直ぐにする、という用法が従来考えられてきました。とくに、①の半卵形の砥石は溝のある面が平らに仕上げられていることや、民族事例でそのような事例があるということから、2個セット使用されていたのではないかと考えられました。実際に、長野県では2個セットで出土している事例もあります。さらに、この砥石が現れる縄文時代草創期は狩りの道具の転換期(投げ槍から弓矢へ)に当たることから、結果的に砥石の用途を弓矢の出現に引きつけて解釈してしまったきらいがあったかもしれません。
ですので、よくみると論拠とするには苦しい点があります。おもな点を挙げれば、2個セットで出土する事例が極端に少ないこと、セットで出土したものについても溝のかたちが異なるので、これらを重ね合わせて矢柄をしごくことはできないこと、等が指摘されています。上記の③でも指摘しましたが、相谷熊原遺跡から出土した砥石を見ると溝が浅いものが多く、仮にふたつ重ね合わせたとしても矢柄をピッタリと挟み込めないので、しごくには不適当です。となると、砥石には別の使用法を考えたほうがよさそうです。
いま、その別の使用法を具体的に断定することは難しいのですが、可能性のひとつとしては骨角器の研磨に使用した可能性を考えています。平坦面に溝が1本だけという形態上の特徴や、縄文時代草創期のうちに消えてしまう点について合理的に説明するのは難しいのですが、少なくとも使用法という点においては、矢柄を研磨するというためだけのものという限定的なものではなく、残ってはいないけれど、当時の生活で必要だっただろう骨角器を制作するための道具だったのではないか、と考えています。このように考えれば、砥石そのもののかたち・溝の幅や深さに個体差があることも問題なく理解することができます。また、砥石全体に赤みを帯びた、火を受けたような痕跡については、平滑になった砂岩の研磨能力を再生させるために、故意に加熱・冷却を行って表面のキメを粗くさせていた可能性が考えられています。

今回紹介した有溝砥石は、縄文時代草創期に出現する限定的な石器であることから、一緒に出土した土器などの時期を決めるうえでは非常に有効な資料なのですが、砥石そのものの機能についてはよくわかっていないという、そのような事情を紹介してみました。
謎の石器ではありますが、相谷熊原遺跡の土偶や土器の時期を決めてくれたという意味で、私にとっては前回ご紹介した長脚鏃と並んで恩人であり、逸品と呼ぶにふさわしいと思っています。
(松室孝樹)

[引用・参考文献]
滋賀県教育委員会・公益財団法人滋賀県文化財保護協会 2014 『相谷熊原遺跡Ⅰ』
滋賀県教育委員会・公益財団法人滋賀県文化財保護協会 2015 『相谷熊原遺跡Ⅱ・相谷寺前遺跡・相谷下村遺跡』(2015年3月末刊行予定)
松室孝樹 2011 「「矢柄研磨器」雑考―相谷熊原遺跡を理解するために―」『紀要』第24号、財団法人滋賀家文化財保護協会
山内清男 1968 「矢柄研磨器について」『日本民族と南方文化』金関丈夫先生古稀記念委員会編

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