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調査員おすすめの逸品150「平安時代の近江ブランド陶器-甲賀市水口町春日北遺跡の施釉陶器-」

大津市

施釉(せゆう)陶器とは釉(うわぐすり)をかけた焼き物のことです。今わたしたちが使っている食器のほとんどは釉がかけられています。しかし、古代では施釉された器は高級品でした。
古代の施釉陶器には、鉛釉に銅をくわえて緑色に焼きあげた緑釉陶器と、植物灰を原材料とする半透明の釉をほどこして灰色に焼きあげた灰釉陶器が代表的なもので、いずれもおもに平安時代につくられました。このうちの緑釉陶器は、東海地域・平安京周辺の京都地域・山口県地域、そして近江地域で生産されたことがわかっています。近江では他地域に遅れて10世紀から生産がはじまり、京都の生産が下火になる10世紀後半からは、平安京で使われる緑釉陶器のほとんどを近江産が占めるほどにもなりました。さらに、その流通範囲はきわめて広く、実に東北から九州にわたる地域で近江産緑釉陶器が出土しています。まさに平安時代の「近江ブランド」といえる焼き物です。
このことについては、調査員おすすめの逸品109回に堀真人さんが紹介されています。今回は、それと重なる部分も多いのですが、あらためて甲賀市水口町の施釉陶器の窯-春日北遺跡の調査から私の逸品をご紹介します。

近江で作られた緑釉陶器(春日北5号窯、10世紀前半~中頃)
近江で作られた緑釉陶器(春日北5号窯、10世紀前半~中頃)

平成21年(2009)の春、私は甲賀市の北端にあたる水口町春日の道路工事予定地で埋蔵文化財の試掘調査を行っていました。このあたりには緑釉陶器の窯跡が分布することがわかっており、工事の範囲内に未発見の窯跡が存在する可能性があったからです。といっても、緑釉陶器の窯はまれなもので、そう簡単に見つかるものではありません。事実それまで県内で発掘調査された緑釉陶器の窯はわずかに1基のみでした。ですから、作業をはじめた頃は、淡い期待感を抱きつつも、「まあ、当たらないだろうな」と思っていました。ところが、40年ほど前の道路工事で削りとられた丘陵裾を清掃していると、削られた断面に真っ黒な灰がつまった窪みが現れました。窪みの壁面は赤く焼けており、灰の中からは緑釉陶器のかけらが顔をのぞかせています。緑釉陶器の窯を発見した瞬間でした。その後の発掘調査で,合計6基の窯跡を確認でき、10世紀初めから後半にかけての窯構造や陶器の変遷が明らかになるなど大きな成果がえられたのです。

春日北遺跡で見つかった施釉陶器窯(1号窯、10世紀後半)
春日北遺跡で見つかった施釉陶器窯(1号窯、10世紀後半)

このように緑釉陶器の窯が見つかったことに驚いたのですが、それ以上に予想外だったことがありました。見つかった窯はいずれも緑釉陶器を焼いていたのですが、それとともに10世紀初めから中ごろまでの3基では灰釉陶器も焼かれていたのです。というのは、いままでの通説では、灰釉陶器は尾張・美濃などの東海地域でほぼ独占的に生産され、近江ではつくられていなかった、と考えられていたからです。予想もしなかった灰釉陶器の発見は本当にショックでした。このことは、近江の施釉陶器生産の技術系譜をしる手がかりとなりますし、今までに各地で出土した灰釉陶器の産地をあらためて見なおす必要性をしめすことになりました。

2号窯から出土した灰釉陶器
2号窯から出土した灰釉陶器

以上のように、春日北遺跡から発掘された緑釉陶器と灰釉陶器は、それまでわからなかった非常に多くの重要な知見をもたらしてくれた資料であるとともに,私にとって記憶にとどまる逸品なのです。
なお、見つかった窯跡は、調査後に道路工事計画が変更され、保存されています。
(平井美典)

参考文献:滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会2012『春日北遺跡』

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