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調査員のおすすめの逸品 No.76 完全な姿を見事に再現-米原市能仁寺遺跡の五輪塔

米原市
逸品76
倒壊した状態でみつかった五輪塔

私たちが調査している“遺跡”は、文字どおりかつてそこにあった構造物の“痕跡”です。日本列島の構造物(建物など)は腐朽しやすい木造であることが多いため、発掘調査でみつかるのは基本的に柱を立てた“穴”の跡ばかり。現地を見に来られた方から「ここはなんの遺跡ですか?」と訊かれることがありますが、これに的確に答えることは意外と難しいです。どのような形の建物が建っていて、どのような機能を持ち、どんなふうに使われていたか?これを発掘調査の成果から直接推定できるケースは非常にまれなのです。
さて、今回紹介するのは、米原市能仁寺遺跡の中世墓に建てられた五輪塔です。五輪塔は死者の供養塔・墓塔として平安時代末期に使われはじめたといわれています。形態は仏教思想にもとづいていて、下から四角(地輪・基礎)、丸(水輪・塔身)、三角(火輪・笠)、半円(風輪・請花)、尖り丸(空輪・宝珠)の五つからなります。上部の風輪と空輪はくっついていて合計4つのパーツに分かれるので、造立のあと供養がとだえると倒壊してバラバラになることがしばしばみられます。

逸品76
ありし日の五輪塔の姿(復元)

能仁寺遺跡の調査で見つかった中世墓には5つの五輪塔が並んでいましたが、やはりすべて倒壊しており、基壇の上には4つの地輪が据わっているだけで1つは転落していました。そして水輪より上のパーツは周囲に散乱していました。ところが、それぞれの五輪塔は大きさが微妙に違っていたことと、パーツの数が過不足なくそろっていたことから、本来どれとどれが組み合わさっていたのかが推定できました。パーツの散乱の仕方を調べると、写真後方から手前へ、あるいは右方へ散っているものが多く、あるいは背後からの小規模な土石流で倒壊したのかもしれません。
このおかげで、散乱したパーツを現地で組み上げなおして、本来の姿を現場で復元してみることができました。現在もお寺などでみられる4つのパーツが組み合わさった五輪塔でも、本来は別のパーツを無理やり組み合わせたものや、パーツの欠けたものがみられることが多いことからすれば、これは発掘調査によって造立当初の五輪塔の姿が間違いなく復元できためずらしい事例になります。
幸運な偶然が重ならないとこうした良好な状態は保たれません。まさに逸品です。こういう遺構(遺物?)にあたったときが、発掘調査がもっとも楽しく、かつ大変にもなるときです(笑)。

(伊庭 功)

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