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調査員のおすすめの逸品 №305 そのカーブが人を惑わす?米原市入江内湖遺跡の縄文時代の釣針

発掘調査をしておりますと、調査員がドギマギしてしまうような逸品がしばしば出てまいります。そんな時の現場はたいてい大騒ぎ。おのずと皆のテンションも上がります。発掘調査はやっぱり楽しいもの。今回ご紹介いたしますのは、小さいながらも作業員さん達を大喜びさせてくれた縄文時代の釣針のお話しです。
舞台は米原市にあります入江内湖という遺跡。かつて琵琶湖に面していた遺跡で、それだけに地面はぬかるみやすく、作業員さんたちはいつも泥だらけになりながら苦労を重ねて下さっていました。

画像1:入江内湖遺跡出土釣針6点
画像1:入江内湖遺跡出土釣針6点

私が担当した調査では、合計6本の縄文時代の釣針が出土しました(画像1)。いずれも内側にアグ(カエリ)のあるタイプで、6本中5本の長さは3.0㎝前後、巾1㎝前後、重さ0.3~0.5gのものです。魚類のご専門家にうかがいますと、このサイズの釣針で狙えるコイは体長40㎝以上のものだそうで、上段右の資料だけは少し大きく、長さ3.9㎝、重さ0.9gとなりますので、さらに大物狙いの釣針だったのかもしれません。
これらの釣針は動物の牙や骨で出来ており、上段左の資料はイノシシの牙を素材とし、それ以外は全てシカの手足の骨を材料としています。縄文時代に鉄はまだありませんから、縄文人は石を打ち割り、鋭い刃をもつ石製ナイフを作り出して、自分達が食べ残したイノシシやシカの牙や骨を削ったり、研いだりしながら、釣針の形に仕上げていました。その証拠に、出土した釣針には製作した時の削った跡や研いだ痕跡がはっきり残っています(画像2)。

画像2:製作痕がみられる入江内湖出土釣針
画像2:製作痕がみられる入江内湖出土釣針

縄文人は、イノシシやシカの命をいただきながら自分たちの命をつないでいたわけですが、牙や骨さえも無駄にはせず、次の恵みを得るための道具の素材として連鎖的に生かしていくところが、なんとも私には賢く思えます。現代の私たちが目指す「持続可能な社会」のお手本は、縄文時代の暮らしの中にたくさん隠れているのかもしれません。
ちなみに、日本で一番古い釣針の発見例としては、神奈川県横須賀市の夏島貝塚や広島県の比婆郡にある帝釈峡観音堂遺跡等で発見された約10,000年前(縄文時代早期)の例などが知られていましたが、23,000年前(後期旧石器時代)の可能性のあるものが沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で2012年に発見されました。
全国で釣針が普及した、いわば釣針増加期は約4,000年前の縄文時代中期後葉で、特に内側にアグのあるタイプは、この時期に一般化したようです。私たちの調査で発見した釣針もまた、いずれも内側にアグのあるタイプです。しかも釣針の近くからはいずれも縄文時代中期後葉~後期初頭の土器が出土していますので、発見された6本はどれも釣針増加期の製作物だったと言えそうです。周辺からはその頃に作られた丸木舟が4艘も見つかっていますから、縄文人たちがこれらの舟で琵琶湖へ繰り出し、魚釣りに使っていた姿も思い起こされそうです。
さて、私がドギマギしてしまった理由の1つはその釣針の形にありました。最初に出土したのは上段左の釣針で、第1発見者となったAさんの素朴な第一声は「ヘアピン、出てきましたでー」。──先入観とは怖いもの。その声に見事に惑わされてしまった私の脳と目は、小ぶりながらも絶妙なカーブを持つ泥まみれの出土品を、しばらくヘアピンとしか認識してくれませんでした。しかし、ヘアピンが土の中から発見されるのもまた変な話です。泥をそっとぬぐい、混乱しながら観察するうちに脳の中の霧が晴れ、やっと釣針だということに気づいて驚愕し、数千年前の釣針がこの手の中にあることに感動しながら、泥まみれの作業員さん達と発見の喜びを分かち合うことができました。ヘアピンを目にするたびに甦る素敵な思い出です。(瀬口眞司)

参考文献
滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会2007 『一般国道8号米原バイパス建設に伴う発掘調査報告書1』入江内湖遺跡Ⅰ
滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会2008 『一般国道8号米原バイパス建設に伴う発掘調査報告書2』入江内湖遺跡Ⅱ

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