記事を探す

新近江名所図会

新近江名所圖会 第345回 近江源氏佐々木氏の初期の居館跡 ―小脇館跡推定地―

滋賀県には1300箇所におよぶ城館跡があります。この中には、中世の史料に記された居館に比定されているものもあります。今回紹介する小脇館跡もその一例で、鎌倉時代に成立した歴史書、『吾妻鏡』に登場する佐々木信綱の御所に関連づけて考えられてきました。

写真1 小脇館跡推定地
写真1 小脇館跡推定地

小脇館跡の推定地は東近江市小脇町にあり、標高370mの箕作山の南麓に立地しています。この地は、伊勢へ向かう千草越・八風街道の要衝であるとともに、土山駅から東山道愛知川駅への通路にもあたります。『吾妻鏡』によれば、建久元年(1190年)12月14日に源頼朝の一行が京から鎌倉に帰る途中で「小脇宿」に泊まったとされています。また、嘉禎4年(1238年)には、鎌倉幕府第4代将軍藤原頼経一行が上洛の際、往復とも小脇に宿したことが記されています。
小脇町の脇集落周辺には、堀田・惣田・御所・馬場・馬ヤケ・コチャ門(東門)・岡門・蓬莱門(南門)などの建物跡・堀跡・厩舎跡などを想起させる地名が残っています。そのため、古くからここが『吾妻鏡』に記された近江源氏佐々木氏の小脇館跡ではないかと考えられてきました。大正11年に発行された『近江蒲生郡志』巻八にも「小脇館趾」として取り上げられ、当時の写真が掲載されています。
1979年には、『八日市市史』編纂準備の一環として館域の確定を目的とする発掘調査が実施され、「堀田」や「惣田」の地名があり、残存地割から館域の縁辺と目される地点において堀跡とみられる遺構が見つかっています。

写真2 推定館域の西縁辺部とされる「惣田」付近
写真2 推定館域の西縁辺部とされる「惣田」付近

こうした発掘調査成果や歴史地理学の研究成果から、小脇館は館域が不等辺の四辺形を呈し、方2町の規模をもつと考えられています。この規模は、ほかの鎌倉武士の居館に比べても大きい方に属します。推定館域の内部では、発掘調査が行われていないため、小脇館の実態はよくわかっていませんが、付近には今も古くからの地割が残っています。想像をたくましくして散策すれば、かつての佐々木氏の本拠地の姿をイメージできるかもしれません。

おすすめpoint
脇集落内には、小脇館跡の説明板があり、遺跡や地域の歴史を知るうえでとても助かります。遺跡の説明板には自治体や教育委員会によって設置されたものが多いのですが、これは中野地区まちづくり協議会により設置されたものです。自分たちの住む土地の遺跡を守り、歴史を後世に伝えたい、遺跡を知ってほしいという住民の方々の思いが伝わってきます。

写真3 小脇館跡の説明板
写真3 小脇館跡の説明板

周辺のおすすめ情報
小脇館跡推定地の北東600mのところに太郎坊宮として有名な阿賀神社(新近江名所圖会第94回)があります。天照大神の第一皇子神が祭られています。勝利と幸福を授ける神様として信仰されており、聖徳太子や最澄、源義経、そして佐々木六角氏などの尊崇を集めたといわれています。
小脇館跡推定地を見学の際、訪れてみてはいかがでしょうか。
(宮村誠二)
◆参考文献
・『近江蒲生郡志』巻八、大正11年、蒲生郡役所
・『八日市市史』巻二、昭和58年、八日市市
・『八日市の歴史』昭和59年、八日市市
・『現代語訳 吾妻鏡』五味文彦・本郷和人ほか編、吉川弘文館

アクセス
近江鉄道「太郎坊宮前」下車、徒歩10~15分
名神高速道路八日市インターから15分

Page Top