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調査員のおすすめの逸品152「飛鳥時代の国語辞典-北大津遺跡出土の「音義木簡」-」

大津市
北大津遺跡出土音義木簡(レプリカ)
北大津遺跡出土音義木簡(レプリカ)

現在のJR湖西線「大津京」駅一帯には、古代遺跡である北大津遺跡が広がっています。今回は、この遺跡から出土した飛鳥時代の国語辞典というべき木簡をご紹介します。
「大津京」駅は、旧国鉄湖西線が開通した昭和49年(1974)に設置された駅です。当初、大津市は駅名を「北大津」にする予定でした。しかし、地元から、「北」と名づけると、駅周辺が大津の北端の印象を受けるとの反対意見があって、「西大津駅」の駅名になったとの事です。その後、平成20年(2008)に現在の「大津京」駅に改名されました。このような経緯もあって、駅周辺の遺跡名は北大津遺跡として登録されています。
昭和49年の湖西線開設にともなって、新駅周辺の発掘調査が昭和47年(1972)から49年にかけて実施されました。周辺は幻の都である大津京の推定地であり、大津京に関連する遺構が見つかるのでは、という期待がありました。調査の結果、駅南東側―琵琶湖側で弥生時代後期から古墳時代前期の遺構や遺物が確認されたほか、駅北西側―山側では主に飛鳥時代から平安時代にかけての遺構や遺物が見つかりました。
駅北西側の広場や地下道部分の調査では、南流する流路の中から7世紀後半の遺物とともに文字の記された5片の木片が出土しました。このような文字が記された木の板を木簡と呼びます。木簡の出土は滋賀県内では初めてのことで、都城をのぞくと、全国的にも出土事例は希少でした。見つかった木片には多数の文字が記されていましたが、消えかけた文字は判読が困難でした。このような判読不明な木簡は、赤外線を当てることで文字の輪郭がうきあがり、はっきりと読み解けることがしられていましたので、この木簡も赤外線フィルムで撮影しようということになりました しかし、当時滋賀県の文化財調査部門には、自前の赤外線撮影設備を持っていませんでした。そこで、調査担当者は滋賀県警察本部に依頼し、捜査用の赤外線フィルムで木簡を撮影してもらいました。その6×7判フィルムネガが滋賀県埋蔵文化財センターに保管されています。ネガケースの撮影年月日欄は未記入ですが、おそらく調査が終わった昭和49年に撮影されたと思われます。

滋賀県警のネガケース
滋賀県警のネガケース
北大津遺跡出土音義木簡の赤外線写真
北大津遺跡出土音義木簡の赤外線写真

この赤外線撮影によって、この木簡は長さ約70㎝、幅7㎝の板に50文字以上が記されていることが判明しました。なお近年、さらに高精度のデジタル赤外線カメラでこの木簡を再撮影したところ、80字以上の文字が記載されていることがわかっています。
さて、木簡に記された内容は漢字1文字の下に万葉仮名でその読み方や意味を記したもので、現代の国語辞典と似た内容といえます。たとえば、「采〈取〉」=(とる)は同義語であることを示し、「鎧〈与里比〉」=(よろい)「費〈阿多比〉」=(あたい)などは読み方を記しています。「瀆(精)〈久皮反〉」=(くわし)は反切(はんせつ)と呼ばれる古代の発音法を示す表記といわれています。
7世紀後半から8世紀前半のこのような木簡は音義(おんぎ)木簡と呼ばれており、北大津遺跡で木簡が発見されてから約40年が経過した今でも、奈良県飛鳥池遺跡・徳島県の阿波国府推定地である観音寺遺跡の計3遺跡でしか見つかっていません。北大津遺跡の音義木簡は、文字の意味や訓読法・発音法が記載されており、日本語のもっとも古い「国語辞典」ともいえる逸品でしょう。
(濱 修)

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