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調査員のオススメの逸品 第249回 自分の出身地が古代の木簡に!?―竜王町ブタイ遺跡の出土木簡―

竜王町

ブタイ遺跡は蒲生郡竜王町大字山面字ブタイにある遺跡です。西方にある鏡山は、6世紀頃から須恵器を焼いていた窯跡群があり、鏡山古窯址群と呼ばれる県下最大の須恵器生産地跡といわれています。ブタイ遺跡は平成14年度から2度にわたって調査が行われ、奈良時代頃の大型掘立柱建物や墨書土器などが出土し、古代の役所跡と考えられてきました。

不良品須恵器がたくさん出土した大溝
不良品須恵器がたくさん出土した大溝

あれから14年後、3度目の調査が平成28年に行われることとなりました。3度目の調査では奈良時代頃の建物や幅5mの大溝址がみつかり、多量の須恵器(古墳時代から大量生産された陶器のご先祖のような土器)が出土しました。出土した多量の須恵器は、焼け歪み・焼成不良・火膨れ・亀裂などがみられる不良品(失敗品)が多くありました。このことから、ブタイ遺跡は鏡山の窯で焼かれた須恵器を、出荷前に選別する場所だったことが明らかとなりました。また、3度目の調査でも墨書土器などが出土し、銙帯(古代の役所に勤める人の腰ベルトにつける飾り金具)や木簡が出土したことから、鏡山の須恵器生産を管理運営していた役所跡の可能性が高まりました。

ブタイ遺跡から出土した遺物は、一般集落から出土することの少ないものばかりですが、今回はその1つである木簡についてお話したいと思います。木簡とは木札状の板に墨で文字が書かれたものです。

「桐原郷薏原史」と書かれた木簡(赤外線写真)
「桐原郷薏原史」と書かれた木簡(赤外線写真)

ブタイ遺跡から出土した木簡は1点ですが、その書かれた内容は私にとって大変興味深いものでした。出土した木簡は、下端が尖った形で、付札木簡と呼ばれるもので、荷物などに刺して使われていたと考えられています。墨書の内容は、「桐原郷薏原史(きりはらごういはらのふひと)」と書かれており、桐原郷の住む薏原史さんからの荷物に付けられていた木簡と考えられます。

「薏原」氏は正倉院文書にみられる名前です。

薏原史宿奈麻呂 仕丁 近江国野洲郡敷智郷戸主穴太野中史玉手の戸口
薏原史万呂   経師 里人 天平十八年三月と天平二十年八月~十二月東大寺画所に上日
薏原毛人    左京人 画工司画師 天平宝字二年二月から四月 東大寺大仏殿の彩色に従事
薏原人麻呂   経師  天平宝字二年二月から四月 写後経所・写疏所で写経

上記の4人は写経や絵に携わる人のようです。奈良時代頃は写経などに関わる人は主に渡来氏族といわれており。木簡にみえる薏原史さんも渡来氏族の一人でしょう。

私が驚いたのは「桐原郷」という部分です。「郷」とは古代の行政区画の1つで、「桐原郷」とは現在の近江八幡市の南西部付近に比定されます。ブタイ遺跡から約4㎞に位置します。昭和29年に近江八幡市となる前は、この辺りは蒲生郡桐原村であり、今ではその呼び名は近江八幡市立桐原小学校という名に残されています。桐原小学校を中心とした学区名は桐原学区と呼ばれており、何を隠そう私は桐原学区の出身であり、桐原小学校は母校でもあるのです。

奈良時代なんて遠い昔と思っていましたが、実はとっても身近なことなんだな~と感じながら、幼少期を思い出していたのでありました。
(重田 勉)

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