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調査員のおすすめの逸品 No.115 地域の歴史を示す近代遺物―草津市中沢遺跡の陶磁器・ガラス瓶―
私は、平成23年度に草津市西渋川で中沢遺跡の発掘調査を担当しました。中沢遺跡は、草津市と栗東市にまたがって位置する、弥生時代から古墳時代にかけての集落遺跡で、良好な遺存状態の木製品や土器類が多数出土する、知る人ぞ知る遺跡です。調査地は草津駅から徒歩約10分と交通至便な場所で、滋賀県立短期大学農業部が閉学した後はながらく更地のままでしたが、宅地造成工事が実施されるにあたって、発掘調査が実施されました。
中沢遺跡に限らず、発掘調査をすると、近現代以降の陶磁器などが見つかることはよくあるのですが、たいていの場合はこれらが返りみられることはありません。しかし、中沢遺跡から見つかった近代陶磁器やガラス瓶の中には、珍しいものがいくつも含まれていました。今回はそれらを紹介したいと思います。
写真1は「農試」と書かれた湯呑碗、写真2は「試」と書かれた蕎麦猪口です。どちらも、以前この地にあった滋賀県農業試験場で使われていたものと考えられます。もともと県立短大農業部は、農業試験場に併設されて発足していますので、このような陶器があっても決して不自然ではありません。ただ、これらの字が手書きであることからしても、おそらくはオーダーメイドと考えられますが、製作地についてははっきりしません。
写真3・4は、底面の文字から戦時中に作られた「統制陶器」と思われます。当時の政府は、経済の統制をはかり、食器類も生産品目や生産量・生産地などを制限し、生産者表示する「統制番号」を付けて管理しました。写真3は湯呑碗で、高台内に「岐290」と書かれています。写真4は化粧クリーム瓶で、底面に「岐870」と陽刻されています。これらの「統制番号」から、美濃焼の産地である岐阜県東濃地域、現在の土岐市で生産されたものとわかります。
写真5は、丸みを帯びた体部と玉縁の口縁部を持つ磁器碗で、サイズの異なる2種類があります。口縁内面に描かれた星は旧帝国陸軍の「星章」であり、太平洋戦争中に使用されていた「軍用食器」とわかります。なお、産地については底面が欠損していることもありよくわかりませんが、伝世資料から名古屋製陶所(名陶)製と考えられます。
写真6は陶製ボタンです。上面には桜の陽刻に緑色釉を掛け、裏面は服地に縫い付けるための横方向の穴があけられています。戦時中の金属不足に伴い、国民学校の学生服用に作られたものです。
写真7はガラス製の薬瓶です。縦に「草津駒井眼科院」と陽刻されています。駒井眼科院は、草津3丁目で現在も開業されておられます。
これらはいずれも、ゴミ穴の中から見つかったものです。写真1・2の陶器については、以前ここに置かれていた県農業試験場に関するものです。また、写真3~6の陶磁器については、いずれも戦時色の濃いものです。このうち写真3・4・6は、戦時中の物資が不足していたことを示すものであり、農業試験場と県立短大が長く置かれていたという、この地の歴史を語るものといえます。ただし、写真5の軍用食器がここで使われていた経緯ははっきりしません。戦後の物資不足の際に使われていたのでしょうか。写真7のガラス瓶は、近所の眼科医と薬品のやり取りをしていたことを示すのかもしれません。いずれにしても、これらは近代における草津の一端を垣間見ることのできる遺物ということができます。
(小島孝修)