オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品№362 金属探査のお助けアイテム―金属探知機―
栗東市の出庭(でば)遺跡の調査のときでした。高野(たかの)・辻・出庭遺跡は古墳時代の大集落跡であり、鉄製品が出土することで知られています。古代において、鉄は貴重な素材であり、スーパーリサイクル素材なので、とことん使われたものです。したがって、集落跡から出土するのは珍しいことなのですが、高野・辻・出庭遺跡では、意外と普通に出土します。
このことは若い頃から知っており、自分が担当になったらイヤだな~、なんか難しそうだな~、凄そうだな~などと弱気なことを思っていました。
そんなことを思いながら30年近く経ち、とうとう自分が調査担当となってしまいました。
で、やっぱり古墳時代の集落跡が出てきました。令和元年には古墳時代中期(5世紀)の鍛冶工房群が、そして令和3・4年には古墳時代前期の集落跡が出てきました。やはり、いずれも鉄が出土しました。
「出ちゃったよ〜。難しそうだけど向き合わねば…」
みつかった古墳時代前期の集落跡は、竪穴建物が疎らに分布しており、建物床面(当時の人が使った床)に、これでもか!という程、メチャメチャ焼けた箇所がありました。焼けすぎて周囲の土はヒビ割れ、土器のように硬くなっていました。
「これはどう考えてもすごい高温になってたに違いないかも…鍛冶炉かも…」
令和元年に調査した古墳時代中期の鍛冶工房跡は、鉄はもちろん、フイゴ(送風装置)の羽口や鍛冶滓(かじさい)などが出土したので、鍛冶工房跡と自信をもって言えたのですが、古墳時代前期の方は、そう簡単なものではありませんでした。
古墳時代前期の方は、異様に焼けた部分と、拳大の少し煤けた石、よく分からない小さな鉄が出てくるのですが、これだけでは遺構の性格が決められない。鍛冶工房跡の可能性が高いのだけど、証拠が少なくて決定打がない。
そこで、敬愛なる鉄の研究者や職場の同僚の知り合いの鉄研究者の伝手で、愛媛大学の鉄研究者の村上恭通先生に現場まで来ていただき、調査指導を受けることになったのでした。
先生は資料と現地をみて大変興味をもたれ、こちらが思ってもいなかった調査方法を教えてくださいました。それは、「金属探知機を用いた建物床面の金属反応探査」でした。
遺構に残る微小な鉄は、土中で溶脱という作用が起こり溶けていく。これを金属探知機※で探すというものです。
鉄は自然界には単体では存在せず、常に酸素をはじめとした何かの物質と結び付きやすい性質をもちます。放おっておけばすぐに酸素と結びつき(錆びる)、いずれ朽ちていき、水を含めばバラバラになっていきます。人間からすれば劣化なのですが、鉄からすれば安定することになるのです。
「金属探知機持ってきましたので、置いていきますので使ってください。がんばってください。」と先生。借りっぱなしもなんなので、すぐに職場に同じものを用意してもらい、金属反応探査をすることになったのでした。(写真1)
今までやったことがない調査だったので、試行錯誤しました。
建物床面に20cmメッシュを設定し、メッシュ線の上に金属探知機を這わせるようにして探査するのですが、最初に試みたのは糸でメッシュを作る方法でした。が、やってみたものの、これでは糸が邪魔で人間が入れない…。というわけで、床面に直接線を引いてメッシュを設定することにしました。が、雨降って濡れると金属探知機がうまく這わせられない。というわけで、晴れて地面が乾いた日を狙ってササッのサッ、パパッのパッとメッシュ線を引いて探査をしました。(写真2)
最初の頃は金属探知機をうまく使えず、エラー反応が出まくりでやり直したり、メッシュが細かいのでどこまで探査したか分からなくなったりしました。
この年、金属反応探査を行った竪穴建物は5棟。多かれ少なかれ金属反応があり、建物によっては反応の分布範囲が集中する箇所や疎らな範囲があることが分かり、建物内での作業エリアなどを復元できそうなデータを得ることができました。
これにて鍛冶工房の可能性が高いのに、証拠が少なくて決定打に欠く古墳時代の竪穴建物を、鍛冶工房跡と言えるに至ったのでした。(写真3)
古墳時代前期の鍛冶工房跡については、令和4年に現地説明会を行い、多くの方が参加してくださいました。
調査指導をしてくださった村上先生、ありがとうございました。
それにしても、金属反応探査は50過ぎのオッサンには辛かった。ず〜っと立ち上がったりしゃがんだりを繰り返すので、冬の寒さも相まって、腰は痛いわ太ももパンパンでグッタリでした。
(重田勉)
※金属探知機は電磁誘導を用いた装置。コイルを流れる電流により、探知機で発生する磁場が金属に近づくと、金属表面に発生する渦電流から生じる磁場に影響され、磁場が変化するのを探知するしくみ。地雷の除去や壁の中の鉄骨を探すことなどに使われる。