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調査員のおすすめの逸品№372 時代を超えた2つの円窓付土器(まるまどつきどき)

大津市

 よく秋の紅葉の季節になると寺や日本家屋の壁に取り付けられた円窓からの景色があたかも円い額縁の中に描かれた絵画のような鮮やかな風景がテレビ等で取り上げられたりします。こうした円窓のような大きな円孔が土器の側面に穿たれた土器が弥生時代にあります。

写真1 赤野井浜遺跡 円窓付土器

これらは円窓付土器と呼ばれ、東海地方から近畿地方で多く見つかっています。なぜ円窓があるのかその用途はわかっていません。水や穀物を入れれば、すぐ溢れ出てしまいます。よって、煮炊きや貯蔵には不向きで、何等か儀礼に用いられたと考えられています。後漢書(ごかんじょ)費長房(ひちょうぼう)伝にあるように壺中に別世界があり、それを覗くための穴のような弥生人の宗教的なものかも知れません。琵琶湖岸の弥生集落である守山市赤野井浜遺跡からも円窓付壺が見つかっています(写真1)。

 もう一つは大津市関津城遺跡から見つかった奈良時代の須恵器短頸壺です。あたかも弥生時代の円窓付壺のように側面上部に大きな円孔が穿(うが)たれています。この時代には弥生時代のように円窓付土器が一般的ではありませんので、弥生時代以上に何に使ったか謎が深まるばかりです。この土器は円孔を穿った際の円盤状の土器の破片も同時に出土しており、非常に珍しい事例であるといえます。

写真2 関津城遺跡出土の円窓付土器

 この円窓が開けられた須恵器(すえき)短頸壺(たんけいこ)は胞衣壺(えなつぼ)(母親の胎内で赤ちゃんが栄養を補給するための胎盤を埋納するための壺)として使われたり、火葬の骨壺に使われたりすることがあることから、この土器も胎盤を地面に埋めて、その場所が人々にたくさん踏まれ、子供の成長を祈ったとか、葬送にあたって、日常の器を仮器(かりき)として別の世界へ送るための土器であった可能性もあります。実際に縄文時代から葬送儀礼と関連して土器の孔を土器の下半部に穿つことは行われています。しかしながら関津城遺跡のように土器の上半部に大きな円孔を穿つことはありません。 

 こうした点から考えても、関津城遺跡から出土した円窓付土器は弥生時代の円窓付土器以上に謎が深まるばかりです。現在、これらの土器は滋賀県埋蔵文化財センターのロビー展示「おうみの壺にはまるー壺・壷・つぼ・ツボ大集合―」で令和6年7月5日(金)まで展示されています。

                           (中村 健二)

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