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調査員のおすすめの逸品 No.46 匠の技-烏丸崎遺跡出土の玉類と工具
滋賀県立琵琶湖博物館やハスの群生で有名な草津市立水生植物園みずの森がある草津市烏丸半島、そこにほぼ全面で確認されたのが烏丸崎遺跡です。
烏丸崎遺跡では弥生時代中期に200基を超える方形周溝墓が造られました。その中の一つから、色鮮やかな89点の玉類が出土しています。薄黄緑色と白色・薄い灰色がマーブル状になった翡翠製の小玉・棗玉・異形玉から成る46個と深緑色を呈する碧玉製の管玉・翡翠製の勾玉43個から成る一群にまとまっており、副葬品として納められた2種類の腕輪になると考えられます(写真1)。
縄文時代・弥生時代には、硬玉(翡翠)・碧玉や琥珀が主たる玉の材料となります。これらの石材は、日本国内では、北海道東部~日本海側に連なるグリーン・タフ地域で産出します。これらの地域では縄文時代以来、玉作りの技術が継承されていました。
では、グリーン・タフ地帯ではない、ここ近江ではどうか、と言えば、弥生時代前期末~中期初頭に湖北から湖南地域に幾つかの玉作り工房が出現します。その一つが、烏丸崎遺跡です。
少なくとも2棟の竪穴住居が工房であったことが判明しています。なぜ、玉作り工房であるのか説明しましょう。
まず各作業工程で使う石製の工具類や製品だけでなく、未製品や割ったり削ったりした時の破片が多量に出土しました。そして工房の中央床面には玉を磨くときに研磨剤として使う石英などの細砂粒や砥糞が詰まった土坑があることが大きな決め手となります。
弥生時代前期・中期には、鉄器はほとんど普及していないので、石材を分割する鋸、玉類を磨く研磨具、さらに穿孔するための錐といった道具類も全て石製です(写真2)。特に、石錐の中でも直径1mm・2mm程度の小さな穴をあけるため瑪瑙製石針は、1棟の工房から1,300点以上も出土しています。その数の多さにも驚きますが、米粒大の極小石針にも、面取りした加工痕跡があるのにはさらに驚かされます。
烏丸崎遺跡での玉作りは、石材は北陸地域産である可能性が高いことが蛍光X線分析からわかっています。また、技術の基盤もおそらく北陸地域に求めることができますが、全く同じではなくアレンジした作業工程・技術を持っています。また、石鋸の石材は主に紀ノ川流域で産出する紅簾片岩製です。
弥生時代前期~中期初頭における近畿地方での玉作り生産は、今のところ近江以外ではないと言っても過言ではありません。ですから、烏丸崎遺跡をはじめとする近江産の玉類は、地元での消費にとどまらず、むしろよりひろい地域に供給することによって近江の優位性・特殊性を際立たせるためにも大きな役割を担った先端技術でした。
烏丸崎遺跡出土の玉類と道具類はそのことを雄弁に語ってくれる逸品なのです。
(小竹森 直子)
《参考文献》滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会『烏丸崎遺跡・津田江湖底遺跡』(琵琶湖開発事業関連埋蔵文化財発掘調査報告書9)2008