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調査員のおすすめの逸品 No.53 県内最古の人工遺物に思いを馳せて―瀬田川川底出土の「ナイフ形石器」
大津市螢谷の瀬田川の川床から旧石器時代の石器が出土しています。蛍谷遺跡と呼ばれています。この石器は「ナイフ形石器」と呼ばれる約2万数千年前の後期旧石器時代の遺物で、滋賀県内でこれまでに見つかっている最古の人工遺物「道具」です。
昭和60年(1985)の発掘調査の現場担当であった私は、川底の砂礫層を掘削中に、作業員が掘り出した石を観察したところ見事なナイフ形の石器であることに気づきました。手に持つとスッシリと重く、石材の質の違いと古さを感じました。この石器は原石を打ち掻いて翼状剥片(つばさじょうはくへん)を作り、さらにシカの角などを使って鋭い刃を作り出しています。石の表面はもともと黒色であったものが灰色に変色しており、風化の度合いからもこの石器がいかに古いかを知ることができます。
石器は長さ11.2㎝、幅3.8cm、重さ72.9gで石材はサヌカイトでした。その後、詳しく調査し、当時京都大学の山中一郎先生や同志社大学の松藤和人先生など旧石器研究者の方々に観察していただいたところ、今から約2万数千年前の後期旧石器時代の国府(こう)型ナイフと呼ばれる石器であることが判りました。「ナイフ形石器」は形状がナイフに似ていますが、実際は槍の穂先として使用されたもので、氷河期のオオツノシカやゾウの捕獲に使われていたかも知れません。
また「国府型」とは藤井寺市にある国府遺跡出土の石器の形状と似ていることから命名されたものです。
琵琶湖から流れ出る唯一の河川である瀬田川とその周辺には、たくさんの遺跡や遺物が埋もれています。瀬田川入り口には、約5,000年前の縄文時代中期の国内最大の淡水貝塚である粟津湖底遺跡があります。粟津湖底遺跡は、貝塚だけでなく約9,800年前の縄文時代早期のクリ塚も見つかっています。このクリ塚から出土した土器は、これまで県内最古の土器でしたが、2010年に東近江市の相谷熊原遺跡から出土した約13,000年前の縄文時代草創期の土器にその座を譲っています。
また、現在の瀬田唐橋から約80m下流には672年の壬申(じんしん)の乱時代に造られた橋脚跡も見つかっています。瀬田川右岸の石山寺の駐車場下に、縄文時代早期末の石山貝塚もあります。これらの遺跡以外にも瀬田川の川床からは縄文時代草創期の石器である尖頭(せんとう)器なども見つかっています。古くから瀬田川の恵みにより人々が活動していたことが分ります。
滋賀県内の旧石器時代の資料は関東・東北地方に比べ極めて少なく、いずれも約35,000年前までの後期旧石器時代のものです。県内では旧石器時代の遺物は9ヵ所でしか見つかっていません。その多くは瀬田から東近江市(旧八日市)の布引丘陵にかけての丘陵部とその周辺で見つかっています。そのうち5ヵ所は瀬田丘陵周辺から見つかっており、平成17(2005)年に瀬田丘陵南側の大津市関津遺跡で出土した角錐(かくすい)状石器は約20,000年前の石器です。
いずれ、滋賀県内でももっと古い時代の石器や生活跡が発見されるかもしれません。
(濱 修)