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調査員のおすすめの逸品 No.57 近江と大和を結ぶ土器-関津遺跡出土の大和型瓦器
大津市関津遺跡では、大和型瓦器と呼称される器が多数出土しています。
瓦器とは、鎌倉時代を中心に平安時代後期から室町時代にかけて使用されたもので、器の表面を燻し焼きすることにより金属的な光沢感をもたせた土器です。
仏具や風炉などの茶道具などもありますが、椀や小皿がその大部分を占めていることから、食器を主体に生産されたと考えられています。
近畿地方で出土する瓦器のなかでも最も一般的に使用されている食器の椀は、大和型、楠葉型、和泉型、紀伊型、伊賀型、丹波型、近江型など地域によって細いバリエーションがあります。このことから、概ね旧国郡単位で生産されたとみられています。
近江型瓦器の椀が出土する地域は、日野町や旧蒲生町など湖東南部の比較的狭い地域に限られています。その他の地域では、東海地方で生産された灰釉陶器や近江で生産された黒色土器の椀が一般的に使用されていました。
通常、湖南地域の遺跡では、黒色土器が多く、次いで灰釉陶器、少量ながら大和型瓦器が出土します。また、大和型瓦器は旧東海道沿いの遺跡ではややまとまって出土するものの、黒色土器や灰釉陶器ほど量的に多くありません。
ところが、関津遺跡で出土した椀は大和型瓦器が大部分を占め、黒色土器や灰釉陶器の椀は極めて少量しか出土していません。さらに、煮炊きに使用する土器である鍋釜も、近江で生産されたものは数点しかなく、大部分が大和で生産されたと考えられるものが出土しました。このような事例は、近江の遺跡ではありません。
関津遺跡はその名称から類推されるように関所を意味する「関」、港湾施設を示す「津」からなっています。関津遺跡が立地する場所は、瀬田川の東岸に位置し、琵琶湖から宇治川、淀川を経て大阪湾に注ぐ大変重要な近江の南の玄関口的な場所でもあり、近接地点には平安時代前期の天安元年(857年)に大石関が置かれています。
平成15~19・21・22年度に実施された発掘調査の結果、奈良時代から平安時代前期に大和と近江を最短距離で結ぶ田原道、その道路沿いに官衙など建物が多く並んで配置されていたこと、室町時代には大規模な港湾施設が整備されていたこと、隣接する関津城の城主である宇野氏は大和を本貫地とする可能性があることなどが明らかとなっています。
先に挙げた調査結果は、関津遺跡から出土した大和型瓦器と直接するものではありませんが、大量に出土した大和型土器は、関津の地理的あるいは歴史的な状況から、大和地方と深く結び付いた場所であることを示しているものと考えられます。
鎌倉時代の関津については文献資料がなく、窺い知ることができませんが、この時期の大和では中世都市奈良町の勃興期であると同時に平氏により灰燼に帰した東大寺の再建が進められていました。関津の大和型土器は、関津の地がこのことに深く関わっていたことを物語る遺物と考えられます。
(藤崎 高志)