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新近江名所図会

新近江名所圖会 第58回 歴史を踏みしめる-瀬田唐橋 その2

大津市
大津市瀬田

◇唐橋を渡る

瀬田唐橋(東岸より)
瀬田唐橋(東岸より)

「もう一度、歩いて唐橋を渡ってみたい」
私が初めて唐橋を歩いて渡ったのは、21歳の学生の頃でした。国鉄(現JR)石山駅から、生まれて初めての発掘調査現場、堂ノ上遺跡へ、アルバイトに向かう途中で唐橋を渡りました。その時は、「瀬田唐橋」という名前を何となく知っているというだけで、特に何の思いもなく通り過ぎていました。
あれから35年………。
瀬田近辺の歴史、近江国の歴史、日本の歴史を学んでいく上で、外すことのできない著名な橋であることがわかり、是非もう一度……という思いが消えませんでした。
唐橋は、昔は勢多橋、瀬田橋と呼ばれていました。歴史上では、天武元年(672)年壬申の乱の時を皮切りに、天平宝字8(764)年藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)、寿永2(1183)年の寿永の乱、承久3(1221)年の承久の乱、天正10(1582)年の本能寺の変など、天下を分ける戦いの時に、登場しています。
東国から都に向かうと、東海道(平安時代以降)と東山道が近江国草津宿で集結し、瀬田橋を渡ります。また、北陸道を南下して瀬田川に沿って下るルートをとると、瀬田橋付近をすぎ、宇治から平安京、南へ向かえば平城京に行くことができます。
この地には、東岸の瀬田には昔の滋賀県庁に当たる近江国庁跡、勢多の厩家と考えられる堂ノ上遺跡、西岸の石山側には藤原仲麻呂によって計画された保良宮跡、後期の近江国分寺と考えられている国昌寺遺跡など古代の重要な遺跡がたくさん残されています。
このように、瀬田の地は昔から交通の要衝であり、歴史上最も重要な場所が瀬田橋でした。だから、私にとって唐橋を渡るということは、日本の歴史を渡るということなのです。

◇唐橋界隈

竜王宮秀郷社
竜王宮秀郷社

唐橋を石山側から渡りきると、橋のたもとに竜王宮秀郷社があります。この社はムカデ退治をした俵藤太藤原秀郷を、物語に出てくる竜宮とともに祀ったものです。神社の縁起によれば、古来、瀬田川には龍神が住んでいると言われ、橋の中央には特殊な橋杭が打ち込まれていたため、昔は橋を社としていたのだそうです。
また、唐橋の東岸にある雲住寺には、百足供養堂もあります。
昭和62~平成元(1987~1989)年の発掘調査で、現在の唐橋から約80m下流に古代から近世に至る橋脚の跡が見つかりました。この竜王宮秀郷社も今の唐橋から80m前後下流に、雲住寺はそれから復元される道上にあります。本当に歴史の古さを感じずにはいられません。

百足供養堂
百足供養堂

おすすめPoint

唐橋の東詰、竜王宮へ向かう途中に1軒のコーヒーショップがあります。  瀬田川に架かる唐橋をみるには、ここの窓が絶好のポイントだと思います。暑い夏は、涼しい喫茶店でアイスコーヒーでも飲みながら、唐橋を眺めるのもまた一興ではないかと思います。暑い夏にはぴったりだと思います。
また、取材を終えて、唐橋を西に渡り終えたとき、香ばしいウナギの蒲焼きの匂いがしました。北側に店を構える川魚を扱う「魚伊商店」からの匂いでした。土用の丑にぜひおすすめ。 私はというと、昼時、しっかりと食べたことも忘れて迷わず……。

周辺のおすすめ情報

辻末商店(たにし飴)
辻末商店(たにし飴)

唐橋を東に向かうと真正面に建部大社の参道が見えてきます。その少し手前、道がY字に分かれる場所があり、左側に1件の店があります。
ここが「たにし飴」を売っている辻末商店です。このたにし飴は、水飴にニッキ(シナモン)を加えて練り込んだもので、飴の色が焦げ茶色をしています。形が丸みのある三角錐をしており、あたかも貝のタニシに似ているから名付けられたと考えられます。
1個口にほおばれば、シナモンの香りが口中に広がってとても「癖になる味」です。ある人に食べさせた所、「やみつきになるほど美味しい」と大絶賛でした。皆さんも一度味わってみては?

アクセス

【公共交通機関】JR琵琶湖線石山駅から京阪石坂線に乗り換え、唐橋前駅下車、徒歩5分
【自動車】名神高速道路瀬田西IC下車5分、駐車場なし


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(三宅 弘)

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