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新近江名所図会

新近江名所圖会 第62回 琵琶湖第一疏水大津閘門

大津市
大津市観音寺
画像1 大津閘門 (北国橋より)
画像1 大津閘門 (北国橋より)
画像2 大津閘門 (疎水側より)
画像2 大津閘門 (疎水側より)

京阪石坂線の三井寺駅を降りて、目の前に見える琵琶湖第一疏水(以後「琵琶湖疏水」と記します)沿いの道に沿って山側へ歩くと、交差点の向こうに鉄の門扉を持つ煉瓦や石で構築された「大津閘門(おおつこうもん)」とよばれる構築物が見えてきます。
琵琶湖疏水といえば、京都市へ琵琶湖の水を送る水路という印象がありますが、大津閘門の存在は琵琶湖疏水にいろいろな機能があったことを物語っています。
明治18年(1885)に着工して明治23年(1890)に竣工した琵琶湖疏水は、水力利用や灌漑・飲用などの目的の他に、大津と京都を連絡する運河の機能がありました。
そのため、湖水の増減にかかわらず一定の水量を送ることができるように、疏水の水面を明治16年(1883)におきた琵琶湖大渇水の湖面水位よりも低く設定しました。しかし、そのままでは必要以上の水が疏水に流れ込むため、水量調整を行う堰が必要となります。ところが今度は堰を設置すると船が航行できなくなるため、これを解消するために閘門が建設されたのです。
大津閘門は、明治20年に起工して明治22年に完成しました。
閘門主要部の構造は煉瓦造りで、南側に船を通行させる水門を設け、北部には堰門(制水門)を設けています。『琵琶湖疏水水力使用事業』(京都市電気局編 1940年)によると、堰門に沿って水車を設置できる施設を作りましたが、結局水車は設置されませんでした。

おすすめPoint

画像3 記念碑
画像3 記念碑

琵琶湖疏水の通船は昭和23年(1948)に廃止されるも、大津閘門はそのまま残されて現在に至っています。今の大津閘門は周囲に柵があるため多少見づらいですが、丹念に観察すると明治時代に建設された閘門の姿がよくわかります。
北国橋側からみると(画像1)船を航行させるために必要な鉄の門扉が目にとまります。疏水側から見た閘門は(画像2)門扉が開け放たれており、2つの門扉により水位を調節して門扉を開閉した閘門の構造がよくわかります。
画像3は、明治天皇が疏水を訪れた記念の石碑です。明治23年4月の琵琶湖疏水通水式は、明治天皇ご臨席の下で開催されました。その際に大津閘門を訪れて閘門の開閉をご覧になっています。

画像4 堰門(制水門)
画像4 堰門(制水門)

画像4は堰門(制水門)で、琵琶湖の水が音を立てて琵琶湖疏水に流れ込んでいます。船が通うことの無くなった現在でも琵琶湖第一疏水の水位調節機能をはたしており、大津閘門を境に平均水位の差が約1.5mあります。

ここでは、大津閘門を紹介しましたが、他の地域にも少し目を向けてみましょう。

◇閘門について

画像5 吉井水門(岡山県)
画像5 吉井水門(岡山県)

閘門とは、船舶を高低差の大きな水面で昇降させる装置で、2つの水門の間に船を入れる閘室を持ちます。このような装置は、我国においても江戸時代に竣工した 岡山市倉安川の吉井水門(江戸時代:現存:画像5)などがありますが、最初の近代的な閘門は、宮城県石巻市にある北上運河石井閘門(明治13年(1880)竣工)になります。
大津閘門は石井閘門に次ぐ古い閘門と言えるでしょう。
ちなみに、北上運河は3月11日に発生した東日本大震災で大きな被害をうけました。石井閘門は損壊を免れましたが、釜閘門(かまこうもん)(明治16年竣工)は津波によって大部分が喪失しました。釜閘門ありし日の画像を掲載して(画像6参照)、その姿を偲びたく思います。

画像6 釜閘門
画像6 釜閘門

周辺のおすすめ情報

琵琶湖疎水周辺には様々見所がありますが、疎水も含めて、春の桜のシーズンをお勧めします。
両側に植えられた桜が疎水上に花のトンネルをつくりだし、さらに夜はライトアップされて非常にきれいです。
秋の紅葉は、少し歩いたところにある三井寺でしょうか。三井寺では、春も毎年「夜桜コンサート」開催しており、ライトアップされた幻想的な桜のもと野外コンサートが開催されています。なんだか洒落ていると思いませんか。

アクセス

【公共交通機関】京阪石坂線三井寺駅から徒歩5分
【自家用車】名神高速道路大津IC下車20分、駐車場なし


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(神保 忠宏)

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