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新近江名所図会

新近江名所圖會 第362回 巨木が見守る湖岸の古社―大津市石坐神社(後編)

大津市

前回の第361回では神社の沿革、心地よい境内の雰囲気をご紹介しましたが、今回は細かな観察による、おすすめポイントの紹介です。

写真3 正面口にある社号票(大きい方)
写真3 正面口にある社号票(大きい方)

おすすめポイント
■二つの社号票
境内の正面口は、社地の北に接している東海道側にあります。そこには立派な鳥居・石灯籠とともに、その西側の石壇上に「式内(しきない) 石坐(いわい)神社」と刻まれた方柱型の社号票(写真3)があります。それにくわえて、出入口を挟んだ東側には、「時之祖祥 天智天皇奉祀 石坐神社」の文字と時計が刻まれた石碑(写真4)も建てられています。

写真4 正面出入口にある石碑
写真4 正面出入口にある石碑

その一方、境内南側の市道側にも裏口があり、その付近にも方柱型の社号票1基(写真5)がひっそりと建てられています。こちらの社号票は、正面側の例よりもかなり小ぶりで、碑面に「式内 石坐神社」と刻まれています。となると、正面側には大型品を、裏口側には小型品を建て分けていたのではないかとも考えられます。しかし、話はそんなに単純ではないのです。
まず、裏口側の小型品には「明治廿三年四月二十日」という建立年月日が刻まれており、明治時代に建立されたことが分かりました。つぎに、正面側の大型品の方は、昭和41年(1966年)4月に建立されたことが銘文から判明しました。つまり、両者は建立された時期が大きく異なっているのです。正面側が古くて、裏面側が新しいならば、話は分かりやすかったのですけれども、逆に正面側が新しく、裏口側が古いとなると、昭和41年までは正面側には社号票はなかったのだろうか、という疑問が生じてきます。
さらに調べてみて、この疑問を解くヒントに行き当たりました。

写真5 裏口にある小ぶりな社号票
写真5 裏口にある小ぶりな社号票

それは明治30年(1897年)に刊行された銅版画(図1)でした。『名蹟図誌近江寶鑑』(めいせきずしおうみほうかん)という書籍に収められています。この書籍は近江国内の主要な社寺の由緒・沿革や境内の具体的様子について綿密な取材によって作成された銅版画で示した図誌で、おおむね明治29年(1896年)から同30年頃の各社寺境内の状況が詳細に記録されているものです。
この銅版画を見ると、東海道沿いに境内が位置しており、内部の建物配置も現在とほぼ変わっていないことが分かります。東海道に取りつく正面付近には、石鳥居・常夜灯の前に「式内 石坐神社」と刻まれた方柱型のやや小ぶりな社号票を確認できます(図2)。この社号票は、時期的にみても、形態的にみても、現在裏口側にある小型品だと見て大過ありません。すなわち、現在裏口側にある小型品がもともと正面側にあった社号票だったけれども、昭和41年に現在の社号票が新しく建立されたさい既存の小型品は裏口側へ移転されたのではないかと考えます。
こうした社号票は江戸時代には基本的にありませんでした。道行く人々は、鳥居に掲げられた扁額(へんがく)や、社頭の石灯籠に刻まれた社名を見ることで、何という神社か一目で分かったからです。
では、それまで必要なかったのに、いつ・どうして社号票が出現したのでしょうか。それは、明治時代になり、神仏分離令によって神社から仏教的な要素が排除されていくにしたがい、神社の名称も変更されていきますが、その過程で新しい神社の名前を広く示す手段として社号票が創出されたからでした。石坐神社の場合に引きよせてみますと、江戸時代には「八大龍王社」や「高木宮」等と呼ばれていましたが、明治になって「高木神社」と改められ、さらに古代の『延喜式』に記された神社(式内社(しきないしゃ))の石坐神社に比定された結果、新たな名称である「石坐神社」を示すために社号票が建立されたと考えるわけです。

図1『名蹟図誌近江宝鑑』の石坐神社や膳所茶臼山の載っている部分
図1『名蹟図誌近江宝鑑』の石坐神社や膳所茶臼山の載っている部分
図2 図1の石坐神社部分拡大
図2 図1の石坐神社部分拡大

今のところ、滋賀県内における社号票の最古例は明治10年代の事例です。その後、しだいに普及し増加していきますが、石坐神社例のような明治20年代の事例はそんなに多くはありません。ですから、小ぶりで目立たない地味な存在かもしれないけれども、この石坐神社の小型品例は、初期社号票例として神社の長い歩みの一端を語る貴重な手がかりといえるのです。

周辺のおすすめ情報
石坐神社は、膳所城下町の北半部に位置しています。現在、江戸時代当時の建物はほとんど残っていませんが、境内に北接する東海道は城下町を縦断する主幹道路であり、数か所でクランクする配置は城下町当時からおおむね変化せずに残されています。さらに、東海道を南下して、京阪膳所駅から湖岸へいたる道路を左折すると、膳所城本丸址である膳所公園に至ります。東海道を歩きながら、江戸時代の膳所城下町の雰囲気を味わってみてください。
アクセス
【公共交通機関】
・京阪電車石坂線 錦駅から徒歩約5分(約400m)
・JR琵琶湖線 膳所駅から徒歩約9分(約800m)
【自家用車お車でご来社】
・名神高速道路「大津IC」より約10分(約4㎞)

《参考文献(著者名・刊行機関名五十音順、刊行年順)》
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課編(1990)『滋賀県指定有形文化財石坐神社本殿修理工事報告書』滋賀県
松室孝樹(2008)「記念碑から地域の歴史を考える―神社社号票を題材として―」『史想』23、京都教育大学考古学研究会
渡邊市太郎(1897)『名蹟図誌近江寶鑑』名古屋光彰館
(辻川哲朗)

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