新近江名所図会
新近江名所圖会 第130回 冬枯れの山を彩る桜花一輪 -西明寺-
祝! 『新近江名所図絵』全市町制覇! 今回の甲良町に所在する西明寺をもちまして、全市町の名所を案内することができました。
私の職場の主力部隊は発掘調査の技術屋さん達である。男子が多い。何故か高年齢化している。かつては彼らも若く、各種野球大会やソフトボール大会などで大活躍をしたらしいが、今はその片鱗すらない。頭に白い物を頂いた中高年の男子達はまるで冬枯れの山に霜が降りたよう。加齢臭すら漂う。
そんな中でけなげに働く私は、さしずめ枯れ野を彩る一輪の花か。
そういえば、そんな私に似た花があるという。甲良町池寺にある湖東三山の1つ、紅葉で有名な西明寺に咲く滋賀県指定天然記念物「西明寺の不断桜」である。桜は春の花。しかし、この桜は変わっていて、秋から春にかけてぼちぼちと咲く。ちょうど今頃の11月が最盛期という変わり者の桜である(私が変わり者というわけではない)。桜にもいろいろ種類があるが、この桜は「フユザクラ」と呼ばれる桜の仲間だという。西明寺には樹齢250年ともいわれるフユザクラの古木(私が250才というわけではない)がけなげに立っている。最近、この木からクローン栽培された壮年の不断桜が後継木として天然記念物に追加指定された。
不断桜、何となく永遠に続く命をイメージさせる不思議な桜(私が不思議な人間というわけではない)が咲く西明寺は、命にとって欠くことの出来ない「水」の聖地でもある。西明寺にはこんな話が伝わっている。
平安時代の初め頃のこと、三修という修行僧が琵琶湖の西岸を歩いていると、湖の東に紫雲がたなびくのが見えた(昔の人は目が良かった)。怪しんだ三修は、琵琶湖をヒョーイと飛び越え(是非オリンピックに出て頂きたいものです)、紫雲の元にやって来た。見ると雲は清らかな池の中から立ち上っているではないか。三修は思わず地にひれ伏してこの奇瑞を拝すると、池の中から忽然と薬師如来が日光菩薩・月光菩薩・十二神将を従えて出現した。この薬師如来とその眷属をお祀りしたのが西明寺であるという。薬師如来は水のカミなのだ。水のカミは龍神とも繋がるから、西明寺の山号は「龍應山」。西明寺の建つところの地名は「池寺」。まさに水づくしのお寺である。山の木々とともに誠にみずみずしいお寺。心洗われる(まるで私を見るよう[微笑])。この薬師如来出現の霊池は本堂のすぐ後ろに今もある。滅多にここを訪ねる人はいない。しかし、この池こそが西明寺の本源なのだ。この池を拝めば皆、美しくなれるという美のパワースポットである。今回、読者の方にだけの特別公開(なるべく内緒にしておいて下さい。ライバルが増えると少々困るので・・・[苦笑])。
この時、霊池より現れたという薬師如来は、本堂のお厨子の中に秘仏として祀られている。まるで箱入り娘のよう。お目にかかれるのは、住職一代に1回限りという。現在のご住職はまだお若い方なので、我が職場の男子は秘仏薬師瑠璃光如来様にまみえる機会はないでしょう、フフフ[悪魔的笑]。
西明寺は文化財の宝庫でもある。本堂にはご本尊を中心に古い仏様達がズラーーと並んでいて、壮観である。そもそも、本堂自体が日本を代表する中世仏堂であり、国宝第一号に指定された建物である。本堂の横に建つ三重塔も国宝であり、内部は素晴らしい壁画で荘厳されている。また、書院の前面にあるお庭は、薬師如来とその眷属を石組みで表現した美しい庭で、名勝に指定されている。
西明寺は、時を忘れさせる夢の世界、美の世界に私たちを誘ってくれる。まるで不断桜の化身、私のようホーホホホホ[艶笑]。
エ!姥桜ですって[怒!]。
周辺のおすすめ情報
甲良豊後守宗廣記念館
甲良豊後守宗廣(こうらぶんごのかみむねひろ)は、甲良町出身の宮大工で、江戸時代初め頃に活躍しました。30歳の時に幕府に呼ばれ、日光東照宮造営の大棟梁になりました。この記念館は、宗廣の偉業をたたえ、幕府作事方(さくじがた)大棟梁職の甲良家に関する資料を展示しています。このほか、宗廣自筆の鯉の絵の掛軸や甲良大工道具など、甲良家や宗廣を偲ばせる資料が展示されています。
見学には事前の予約が必要です(甲良町役場産業課:0749-38-5069)。
アクセス
【公共交通機関】JR東海道線河瀬駅から湖東三山連絡シャトルバス(11月中旬~12月上旬)で15分
近江鉄道尼子駅から車で12分
【自家用車】名神高速道路彦根ICより20分
より大きな地図で 新近江名所図会 第101回~ を表示
(上田啓子)
-
タグ:
- 甲良町