新近江名所図会
新近江名所圖会 第22回 百穴古墳群-渡来人の奥津城(おくつき)-
大津市の西部、比叡山の東麓一帯には、総数1,000基を越えるともいわれる古墳が密集しています。これら古墳お多くは、6世紀後半から7世紀前半(1550年~1450年前)に集中してつくられ、石室の形や出土している副葬品などから渡来人のお墓といわれています。
百穴古墳群は、その名称のとおり非常に密集した状態で分布しています。現地は、薄暗い竹藪の中にあります。現在は64基確認されており、すでに石室を覆っていた盛り土が流失してしまった古墳の石室の天井石が点々としています。古墳群内には、非常に珍しい花崗岩を刳り抜いた石棺を設置している9号墳や双室墳(1つの塚山に2つの石室を持つ)42号墳などバリエーションに富んでいます。
おすすめPoint
百穴古墳群のおすすめPointは、開口していたり、天井石が露出して、その隙間から石室が覗けることも確かに良いのですが、やはり古墳は昔の人のお墓です。それを実感できる12号墳をお勧めします。
12号墳は、玄室の長さが2.7m、幅が2.7~2.9mあり、高さ3m、羨道は長さ2m、幅1.1mを測ります。開口部から土砂が流入しているため、非常に入口は狭いのですが、中は広々としています。
そして、上を見上げればドーム状にすぼまり、天井石を一石乗せただけなのがよくわかります。そして、奥に向かって右隅には、壁面を構成する石材を15㎝程後ろにスライドさせて空間を作り出しています。カマドを意図しているのではないかともいわれています。
このような石室、まさに死者が葬られた黄泉の国のイメージにピッタリです。
『古事記』伊佐波命を黄泉の国から連れ戻しに伊佐那岐命が訪れるエピソードがありますが、それは、横穴式石室を訪れた(追葬を行うため等)昔の人が、暗闇中に横たわる遺体と遭遇する状況を描いたのだという説に、妙に納得してしまう雰囲気を醸し出しています。そして、カマド、死者の世界で必要な生活道具を完備していても当然良いわけです。
そのように考えれば、神秘的に思えてきませんか?え、むしろ気味悪いと思いますか?怖いものみたさに入ってみてはいかが。ただし、懐中電灯は忘れずに。
周辺のおすすめ情報
京阪石坂線滋賀里駅から百穴古墳群に至るには、旧山中越え(志賀越え)を通ります。その道すがら、大津市埋蔵文化財調査センター(土日祝休み)、桐畑古墳があります。周辺にはトイレやお店もないので準備を怠りなく。
アクセス
【公共交通機関】京阪石坂線滋賀里駅から徒歩20分
【自家用車】周辺は道路は狭いため公共交通機関利用。駐車場なし
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(堀 真人)
参考資料
・『史想』19号 京都教育大学考古学研究会 1981
・『史想』20号 京都教育大学考古学研究会 1984
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