新近江名所図会
新近江名所圖会 第32回 街道の賑わい-国史跡草津本陣
草津宿は、東海道五十三次の江戸から数えて五十二番目の宿場です。東海道と中山道が合流する宿場であり、天保14年(1843年)には、本陣二軒、脇本陣二軒、旅籠七二軒のほか問屋場(街道の宿場事務所)等が建ちならび多くの旅人で賑わっていたとされています。
草津宿本陣とは、草津宿にあった本陣の一つ「田中七左衛門本陣」のことで、昭和24年に国の史跡に指定されました。4,727㎡の敷地(建物面積1,706㎡)に、表門・御除ケ門(およけもん)・式台付玄関・庭・上段の間など本陣の型通りに建てられており、東海道筋ではほぼ完全に残っている最大規模の建物です。
本陣には、文書、大福帳(宿帳)、献立表等の貴重な史料も残っており、大福帳には忠臣蔵の吉良上野介や浅野内匠頭、皇女和宮、シーボルト、新撰組の土方歳三などの歴史に登場する著名な名前を見ることができます。
おすすめPoint
本陣の近くには江戸時代の面影を残すものとして、草津川(天井川)トンネルの南出口に東海道と中山道の分岐点を示す道標(追分道標)があります。道標には、「右東海道いせみち」「左中仙道みのぢ」と刻まれており、文化13年(1816年)に街道を行き交う諸国の飛脚宰領等の寄進により建てられた高さ392.2㎝の大きな火袋付石堂です。
また、草津宿本陣のななめ前にある草津宿街道交流館では、展示やゲーム・体験などを通して草津宿のことをより詳しく知ることができます。
周辺のおすすめ情報
ことわざで「急がば回れ」という言葉があります。この言葉の語源は、室町時代に詠まれた歌「もののふの矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」です。この歌は、京都へ向かう時に、矢橋の渡しから琵琶湖を横断する航路の方が瀬田の唐橋経由の陸路よりも近くて速いが、比叡山から吹き下ろされる突風(比叡おろし)により危険な航路になったために詠まれたと言われています。
この分岐点が草津宿本陣から旧東海道を南東(大津方面)に1キロ程進んだ所(草津市矢倉)にあります。寛政10年(1798年)の道標で、「右やばせ道 これより廿五丁 大津へ船わたし」と刻まれており、矢橋の渡しへ至る矢橋道を案内しているものです。
ここで、東海道を大津方面に行く旅人は、歩いて瀬田の唐橋まわりで行くか矢橋の渡しから船で大津へ行くか思案したと思われます。
アクセス
【公共交通機関】JR琵琶湖線草津駅駅下車、徒歩15分
【自家用車】名神高速道路栗東IC・草津田上ICから20分、草津市役所立体駐車場を利用
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(村井 佑三子)
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