新近江名所図会
新近江名所圖会 第82回 笹間ヶ岳-カミ宿りし山-
大津市の南東部、瀬田川左岸には田上山あるいは湖南アルプスと呼称される山々が連なっています。この山並は標高599mの太神山を主峰とし、八筈ヶ岳(562m)、猪背山(553m)、笹間ヶ岳(433m)、堂山(387m)などの山によって構成されています。
田上山は、『万葉集』に所収された「藤原の宮の役民の作る歌」の一節に
石走る 近江の国の 衣手の 田上山の 真木さく 檜のつまでを もののふの 八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ
と歌われており、飛鳥時代末期、藤原京造営の際に使われた木材の供給地(杣)であったことを知ることができます。その後、奈良時代には、瀬田川右岸の石山地区に保良宮が造営され、併せて実施された石山寺の増改築に充てられた木材は、「造東大寺司」が「田上山作所」を設置して供給したことが『正倉院文書』中の「造石山寺所雑材并檜皮和炭等納帳」などに記されています。このことからも古代の田上山は良質な樹木が生茂る山林であったことが判ります。
しかし、古代には木々が生い茂ていた田上山は、鎌倉時代以降、過度の伐採が繰り返されたことにより草木が失われ、江戸時代にはその大部分が地肌剥き出しの禿山となってしまいます。そのため、田上山の土壌がもともと風雨の浸食を受けやすい風化の進んだ花崗岩で構成されていたこともあって、土砂の流失がひどかったったようです。その結果、流失した土砂は瀬田川の流れを阻害して氾濫を誘発し、さらに下流に押し流された土砂は戦国時代末期に豊臣秀吉が宇治川に築堤した太閤堤をも埋没させるなど、瀬田川流域の各地に度重なる災害を惹起する山へと変貌します。
全国でも有数の禿山となる田上山は、明治時代以降、近年まで植林などの治山事業が繰り返し行われました、その結果、現在は所々地肌が露わとなっているものの大部分が緑に覆われた山容をみるに至っています。
田上山の主峰である太神山には、頂上付近に露頭した巨石(岩座)の脇に貞観9年(859)に建立された不動寺があります。天台寺門宗の修験の場であり、舞台造りの本堂(重要文化財)があります。現在も多くの参詣者や登山者の姿がみられます。一方、支峰の一つである笹間ヶ岳は、登山愛好者の間では比較的知られているようですが標高がそれほど高くないせいかまだまだマイナーな存在のようです。
おすすめPoint
笹間ヶ岳は、北麓の関津集落から望むと三角形の秀麗な山容をしています。山頂には「八畳岩」と呼ばれる巨岩が露頭しており、梯子を伝ってこの上に登ると北側には音羽山系、比叡山から比良山系に連なる山並、琵琶湖、湖南平野、三上山、伊吹山、鈴鹿山系、南側には田上山系など、360°の展望が楽しめ、湖国の大部分を望むことができます。
また、磐座である「八畳岩」の傍らには地元の方が「権現さん」と呼ぶ「白山権現」を祀る祠、「八畳岩」と「権現さん」の間の岩には、その年の豊凶を占うための切石で蓋をした水壺が祀られています。
笹間ヶ岳は、湖国が一望できるだけでなく、一時は荒廃したものの現在は古の姿に再生しつつある山容、カミ宿りし静謐の空間を感じることができる山です。早く山頂に行くには、関津の鎮守社である新茂智神社(天平宝字5年創建と伝えられる)の参道を経て、山頂へほぼ直線的に通じる林道をお勧めします。短時間で山頂に到達することができます。
時間に余裕がある方は、天神側沿いに山頂に向かうルートをお勧めします。このルートは、変化に富んだ景観とともに、禿山から木々生い茂る山への変遷過程を目の当たりにすることができます。
周辺のおすすめ情報
南郷洗堰の傍らに建つ国土交通省が運営するアクア琵琶では、瀬田川や田上地域の風土や特質、田上山の治山について知ることができます。
関津では、地元でとれた農産物などを販売する朝市が、日曜日の午前中(隔週)、関津郵便局の向かいで開かれています。
アクセス
【公共交通機関】JR石山駅から帝産バス「アルプス登山口」下車、もしくは途中「上関」下車、徒歩
【自家用車】名神高速道路瀬田西IC下車20分、駐車場なし
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(藤崎高志)
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