記事を探す

新近江名所図会

新近江名所圖会 第326回 転ばぬ先の杖-大津の明治29年の水害碑を中心に(その2)

大津市

※第326回からの続き

善念寺石垣碑
善念寺石垣碑

◆おすすめPoint
◇善念寺裏の石垣(大津市大萱3丁目)
第2は大津市大萱3丁目の善念寺裏の石垣に洪水時の水位が刻まれています。石垣の上には「この下の横線は琵琶湖大洪水明治廿九年九月二十三日の水位である」と記されています。明治29年の水害記録は昭和46年(1971)年に明治29年生まれの地元の古老が喜寿の記念に設置したものです。この碑は私が昭和58年(1983)に善念寺境内に所在する貝塚の確認調査をした折に気付いたものです。善念寺貝塚から縄文時代の石棒が出土したとされていますが、確認調査では近世以降の瀬田シジミの堆積層が見つかりました。

◇西光寺門前の石柱(大津市瀬田1丁目)
第3は大津市瀬田1丁目の唐橋東詰め北にある西光寺の門前に石柱が設置されています。設置は昭和54年(1979)で石柱には「上の横線は明治二十九年九月二十三日琵琶湖大洪水の水位である」と記されています。文面は善念寺の石碑とまったく同じで、2つの碑文の水害の日時は9月23日とされ下坂本酒井神社碑では9月12日、守山市幸津川浄宗寺の碑では9月13日とあり10日間の誤差がありますが、この年の水害は約8ヵ月続いたとのことですから、上流と下流の誤差でしょうか。善念寺と西光寺の碑は設置年代が新しいので、やや信憑性に欠けるかもしれません。

西光寺門前の石柱
西光寺門前の石柱

◇普済寺境内の災害碑(大津市葛川梅ノ木町)
明治の水害碑とは別に大津市葛川梅ノ木町の曹洞宗普済寺にある山津崩れの災害碑について紹介します。この石碑は寛文2年(1662)6月に起こった近江・若狭寛文大地震の追悼碑です。寛文地震は花折断層北部と若狭の日向断層の2つを震源とするマグニチュード7.5前後の巨大地震で近江では琵琶湖西岸を中心に多大な被害がでました。寛文地震では葛川で大規模な山崩れが発生し「町居崩れ」と呼ばれて、町居村では村人300人のうち生き残った人が37人であったと伝えられています。(詳しくは新近江名所圖会第198回「江戸時代の大地震」参照)

この悲惨な災害を後世に伝えるための災害碑が「山崩諸霊之塔」です。高さ1.5ⅿほどで尖頭型をした石碑は苔むした大きな自然石に据えられ、周辺の墓石や五輪塔とともに境内にひっそりとたたずんでいます。正面には「山崩諸霊之塔」と刻まれ、裏側には詳しい碑文が記されています。
現場での判読は困難ですが資料によれば「災害が発生した寛文2年(1662の)寅年と同じ寅年の宝暦8年(1758)におよそ100周年を記念して石塔を造り、その塚には大乗妙典の一石一字経を埋納し、当村だけでなく葛川全体の悪事災難を除き千吉祥・万福徳が来ることを願います」と刻まれています。

普済寺災害碑
普済寺災害碑

いずれの石碑も悲惨な災害が再び繰り返さないように、歴史と教訓を後世に伝えるために残された大切な記念碑です。
(濱 修)

◆アクセス
◇善念寺裏の石垣
【公共交通機関】JR琵琶湖線瀬田駅下車徒歩15分
【自家用車】名神高速道路草津田上IC下車20分 駐車場無

◇西光寺門前の石柱
【公共交通機関】京阪石坂線唐橋前下車徒歩20分
【自家用車】名神高速道路瀬田西IC下車5分

◇普済寺境内の災害碑
【公共交通機関】JR湖西線堅田駅からバス、梅ノ木下車5分
【自家用車】国道161バイパス真野IC下車25分

Page Top