新近江名所図会
新近江名所圖会 第344回 かつてはあった、近江の空の玄関口ー旧陸軍八日市飛行場
ライト兄弟が有人動力飛行機を離陸させたのは1903年のこと。それからまもない1911年に、旧日本陸軍は早くも所沢に飛行場を開設し、4年後に飛行大隊を編成しています。1914年に始まった第一次世界大戦では飛行機が偵察・爆撃に活用されているように、鉄から原子力にいたるまで、いつの世でも新技術は素早く兵器に利用されました。
旧陸軍が八日市に飛行場を開設したのは1922年のこと。滋賀にゆかりのある民間飛行家荻田常三郎が帰郷飛行(1914年)を実施したのをきっかけに国内初の民間飛行場が八日市に開設され、これをもとに地元政財界が政府・陸軍に働きかけて誘致したのでした。所沢・各務原などとならんで最初期に建設された飛行場です。
この旧陸軍八日市飛行場はどこにあったかというと、その面影はほとんど残っていません。場内に創祀された冲原神社(東近江市東沖野3丁目)と、その境内に移築されている正門の門柱がわずかに往時をもの語っています。
しかし、地図や航空写真で見てみると飛行場跡地は意外と明確です。国道421号線(八風街道)と八日市南高校前の道が北端境界、聖徳中学校前の「大凧通り」が西端境界、3回蛇行している蛇砂川が南端境界にあたります。広大な滑走路は戦後に農地開拓され、周囲とは違った方角を軸に区画されたので、明瞭に識別することができます。国道421号線には不自然な角度で交差する街路がいくつもあって、八日市の街を複雑にしています。じつはこうした街路は旧八日市飛行場に由来していたのです。
八日市飛行場は住民の期待したとおり街に繁栄をもたらし、地域の誇りとなりました。しかし戦争が始まると、飛行場への協力が半ば強制され、戦争末期の空襲では巻き添えを受けて多くの犠牲者が出ました。旧八日市飛行場跡を地域の誇りとみるか、負の遺産とみるか、単純な二者択一をする前に、動かすことのできない歴史を語る遺跡として見つめなおしてみませんか。
◆おすすめポイント
◇冲原神社
冲原神社は境内に移築された正門門柱とともに旧飛行場の貴重な遺構です。ここから国道421号線札ノ辻交差点までの長方形の区画が、駐屯部隊である飛行第三連隊およびそれと交代で移駐してきた第104教育飛行連隊(中部第94部隊)の本部・格納庫・兵舎の敷地でした。本部正門のあったこの交差点付近には、飛行部隊を記念する石碑と正門跡を示す石碑が建っています。
◇掩体壕
飛行場跡地から南に離れて、布引グリーンスタジアムのある布引丘陵の北裾に「掩体壕」が2基残っています。コンクリート製掩体と呼ぶのが正しく、戦争末期に飛行機の空襲被害を避けるために急造された施設です。掩体の敷地は私有地なので立ち入れませんが、丘陵裾の自転車道からはよく見ることができます。
◆周辺のおすすめ情報
《滋賀県平和祈念館》
戦争の記憶を次の世代に伝えることを目的に滋賀県が設置した施設。県民から集めた戦争体験資料と体験談を展示・紹介し、催し物などを開催しています。入場無料、駐車場有。自動車なら愛東マーガレット・ステーションをめざして行けば、そこからすぐです。
《世界凧博物館 東近江大凧会館》
毎年5月に催される大凧まつりは国の選択無形民俗文化財となっている行事です。この習俗にちなんで世界の凧を集めたのがこの博物館。じつはこの博物館敷地も戦争遺跡のひとつで、京都憲兵隊八日市分遣隊が置かれた場所です。
《喜多酒造・近江酒造・畑酒造》
東近江は地酒どころ。3つの酒蔵が国道421号線沿いに点在します。喜多酒造は「喜楽長」、近江酒造は「志賀盛」「近江龍門」、畑酒造は「大治郎」「喜量能」といった銘柄が知られています。近江酒造だけは国道から街中に入ったところにあります。
◆アクセス
【公共交通機関】
・冲原神社:近江鉄道八日市駅下車、近江鉄道バス御園線 沖野または札ノ辻バス停下車、徒歩10分
・コンクリート製掩体(掩体壕):近江鉄道大学前下車、徒歩20分
(伊庭功)