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新近江名所図会

新近江名所圖會 第284回 「彦根」の語源?ー近江八幡市・活津彦根神社(いくつひこねじんじゃ)

近江八幡市

織田信長の安土城で有名な近江八幡市安土町には、古い歴史を持つ社寺がいくつかあります。このうち神社では、『延喜式』に記載のある沙沙貴神社が有名ですが、もう一つ注目していただきたい神社があります。それが活津彦根神社です。

活津彦根神社は近江八幡市安土町下豊浦に所在します。御祭神は活津彦根命(天照大神の第四御子神)、御神紋は横木瓜で、創建年代は不明です。

堂々たる参道
堂々たる参道
活津彦根神社の入り口
活津彦根神社の入り口

この付近は古来、豊浦荘と呼ばれていました。豊浦荘は天平感宝元年(749)聖武天皇が奈良薬師寺に寄進された土地で、活津彦根命は豊浦荘の産土神(土地の守護神)として信仰されてきました。この活津彦根命は日本神話の神で、『日本書紀』では活津彦根命、『古事記』では活津日子命と表記され、天照大神が左手に巻いていた玉から生まれたとされています。

天正4年(1576)、織田信長は安土城を築くに当たり当社に参詣し国家安穏、五穀成就、武運長久、御城安全、当社の繁栄を祈願したとされています(『信長公記』には記載はありません)。天正10年(1582)の安土城焼失の時には、本社は無事でしたが、宝庫は類焼し古書・宝物を焼失しました。

・おすすめPOINT
本殿は三間社流造(市指定重要文化財)、拝殿は切妻造で、境内には蛭子神社と津島社も祀られています。本殿は寛永3年(1626)に建立されたもので、中世からの遺構が多い前室付三間社流造の伝統的な本殿として建築の質も高く、また年代が判明した江戸時代前期の本殿として価値の高いものとされています。

市指定重要文化財である三間社流造の本殿
市指定重要文化財である三間社流造の本殿

注目すべき逸話としては、彦根市の「彦根」の語源である、という説があります。大坂夏の陣で、井伊直孝は活津彦根命の御加護により大功をあげ、三十五万石で近江に封ぜられました。この時に直孝は船に乗って当社を参拝し、自らの城を彦根城と名づけ、永く彦根の御名を給わるべしと神前に誓ったとされます。さらに活津彦根神社の御分霊を奉斎し、現在の彦根市後三条に彦根神社を奉祀し城の守護神としました。この経緯によって、「彦根」の地名が起こったとする説があるのです。

なお、別の説としては、江戸時代に書かれた『近江輿地志略』に「金亀(こんき)山に活津彦根命降臨ましますによっての故也」とあります。金亀(こんき)山は彦根山の別名で、平安時代の史料には金亀山中に彦根寺の記載が見え、彦根寺は病気平癒の霊験によって京にも知られた寺でした。いずれにせよ、彦根市の地名は活津彦根神社の御祭神である活津彦根命に由来するものではあるといえるでしょう。

・おすすめ周辺情報
まずは、安土町まで来て歴史に触れるのならば、ぜひ滋賀県立安土城考古博物館にお立ち寄りください。織田信長ゆかりの品などにも出会うことができます。

それから、冒頭にも触れましたが、安土町において有名どころの神社といえば、やはり沙沙貴神社でしょう。平安時代の文献である『延喜式』に記載のある「式内社」であり、景行天皇が志賀高穴穂宮に遷都を行った際に国家鎮護の神として社殿を造営させた、あるいは古代豪族である佐々貴山君がこの付近に勢力をもっており、一族の氏神が当社であるなどの伝承を持つ古社です。

また、そういった歴史的経緯だけでなく「なんじゃもんじゃ」の花でも有名です。「なんじゃもんじゃ」の正式名は「ヒトツバタゴ」といい、成長すると30mにもなるモクセイ科の落葉樹で、日本ではほかに対馬と木曽川沿いでしか見られないとされています。見ごろは4月下旬~5月中旬で、雪がかかっているように白く綺麗な花が咲きます。

活津彦根神社のすぐ近くにある「西の湖すてーしょん」では軽食をとることができますし、意外に知られていませんが、隠れ家的なおしゃれなカフェも実は近所にあります。散歩がてら探してみては?

・アクセス
〒 521-1311
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦4272
TEL 0748-46-2876
【公共交通機関】JR琵琶湖線安土駅下車 北へ徒歩30分
【自家用車】名神高速道路竜王IC下車30分
(阿刀弘史)

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