新近江名所図会
新近江名所圖會 第271回 羽衣伝説の残る神秘の湖・余呉湖~北近江の密やかな愉しみ~
滋賀県の北東部にあるJR米原駅から北陸本線に乗り換えて福井県敦賀方面に向かうと、8つ目が余呉駅だ。ホームから改札へは線路を渡っていく。周囲は昼間はひたすらのどかな景色なのであるが、陽が落ちて宵口には途端に幻想的な空間になる。雪原の広がる冬はことに、おとぎ話のような世界だ。
余呉駅から少し西に歩くと、ほどなく “鏡湖”ともいわれる一周6kmほどの余呉湖がみえてくる。おだやかな湖面に周辺の景色が鮮やかに映ることからそう呼ばれている。琵琶湖最北端の北にある余呉湖は長浜市余呉町川並に所在し、最大水深約13m、水面の標高は約132mで、琵琶湖より50mほど高い位置にある淡水湖だ。
この余呉湖は羽衣伝説でも知られている。室町時代に編纂された『帝王編年記』養老七年(723)の条には、「近江国伊香郡与胡郷の伊香小江は郷の南方にあって、天の八女(やおとめ)が白鳥となって天より降りて水浴していたところ、伊香刀美はこの姿を見て神人と思いつつも恋心を抱き、白犬をやって末の天女の衣を隠してしまい、これに気付いた姉七人はすぐさま天上に去ってしまうが、妹は還れなくなってしまったので、この地の民となった。天女の水浴していたところを今神浦という。男は天女と共に暮らし、男二人女二人をもうけ、兄の名を恵美志留(おみしる)、弟の名を那志等美(なしとみ)、姉の名を伊是理比咩(いせりひめ)、妹の名を奈是理比賣(なせりひめ)といい、これは伊香連の先祖である。後に天女は羽衣を探しあて、天に帰り、伊香刀美は寂しくため息が絶えなかった。」という内容の記載がある。日本国内にいくつかある羽衣伝説の中で最古とする説もあるが、元になったとされる『近江国風土記』が逸しているので、定かでない。しかしいずれにしろこの書物の記された頃には伝説があったようだ。地域の豪族・伊香連の祖を天女の子とした始祖伝承となっており、伊香氏の血統・権威を高めるためのものとなっている点も注目される。平安時代初頭に編纂された古代氏族名鑑である『新撰姓氏録』では伊香連の出自別区分は「神別」の項に記載され、祖を「臣知人命」とする。
この余呉湖の羽衣伝説は異なる内容でも複数存在している。代表的と思われる二つの内容を紹介しておく。ひとつは、江戸時代中頃に編集された『近江輿地志略』にみられるように、人間の男は余呉の川並に住む“桐畑太夫”で、羽衣を掛けたのは柳とする。また天女は単独で、余呉湖の美景に惹かれて年に一度水浴びをしていることになっている。羽衣を返してくれないので太夫の妻となり、子を産むが、羽衣の隠し場所を歌った歌を聞いて探しあて、天上に去る。その後太夫の夢に現れた天女は天に昇る方法を伝えたので、太夫は天上に行くことができた。残された幼子を菅山寺の僧が憐れんで養育し、この子が後の菅原道真であるとする。桐畑姓は余呉町川並集落に多く、道真の祖が天女と太夫とし、地元の菅山寺との繋がりを語っている点や、柳や美景といった景観が示されていることなどが興味深い。
もう一つは、江戸時代後半の旅行書『近江名所図会』にあるように、天から降りてきたのは織女で、天衣を取ったのは“きりはた太夫”という男とされる。天に帰れなくなった織姫は男の妻となって子供を産むが、あるときその子が隠されていた天衣を渡すと、毎年七月七日に降りて来て余呉湖で水あびするので、その日に逢うことを子に約束して去ってしまう。その子孫は北野天神(菅原道真)で、余呉湖畔に社を勧請したとする。これは天女伝説に七夕伝説が結びついた形のものと捉えることができる。
このように内容を違える複数の伝説が存在するのは、記載の意図と社会背景が異なっていたためだろう。
ところで、余呉湖の北岸にはこの伝説の羽衣を掛けた木があり、“衣掛柳”と呼ばれている。柳といっても花札の絵柄で目にするような蛙が飛びつこうとしているシダレヤナギでなく、枝の垂れないマルバヤナギである。両腕で抱えられないほどの幹を持つ立派な木だったが、今夏2017年に多くの被害をもたらした台風21号によって、根元から倒れてしまった。地元の方にお話をうかがうと、樹木医の診断を経て、若枝の分岐する部分より上を切断して樹木を起こして根元を地中に戻したという。うまく根付き、再生することを願ってやまない。
余呉湖は水鏡に映る景色のなか天女の水浴びを思い浮かべて春~夏場に眺めるのも良いが、雪の降る様子も風情がある。実際に訪れるとなるほどと思うが、このように美しいからこそ生まれた伝説なのであろう。
<周辺のみどころ>
余呉湖近辺はゆったり電車と徒歩で散策しても良いが、車でも楽しめる。北陸自動車道木ノ本I.C.を降りて車で15分ほど走り国道365号“余呉湖口”を西に入ると、ほどなく余呉湖が見えてくる。
衣掛柳に向かう少し手前、JR線を越えたすぐ西側に、“臣知人命”を祭神とする「乎彌(おみ)神社」がある。100mほど南には“梨津臣(なしとみ)命”を祭神とする「乃彌(のみ)神社」があったが、合祀された。両祭神はいずれも天女の子で恵美志留”・“那志等美“であるともいわれている。
北東の山中には天女と菅原道真ゆかりの菅山寺があり、国道365号に出て木ノ本I.C.の方に向かい5分程いった坂口という集落の北国街道沿いに、登り口の赤い鳥居がある。山門近くに県自然記念物に指定されている道真ゆかりのケヤキが2本あったが、向かって右側の1本が衣掛柳と同じく、今夏の台風21号によって倒れてしまった。余呉にはほかにも、菅並集落に所在する寺宝「龍の玉」を持つ曹洞宗の「洞寿院」など、寺社も多く存在する。
さらに周辺には、戦国期に本能寺の変で織田信長が没した後に始まった戦いで、柴田勝家と羽柴秀吉が対峙した場所が複数知られる。余呉湖の南には「賤ヶ岳」、福井県敦賀市刀根との県境には国史跡「玄番尾城跡」がある。
<お食事処>
余呉には隠れ家的食事処がいくつかある。そのうちのひとつは、衣掛柳から車で5分ほど行った余呉湖北西に所在する川並という集落の南端にある “和のオーベルジュ”といわれている名店だ。宿泊もできる食事処で、露天風呂もあり、いずれも美しい余呉湖を眺めながら堪能できる。美食家の間で知られていたが、昨年2017年にTV番組で紹介されてから一気に知名度が増し、いまや予約は数か月待ちの状態だ。
賤ヶ岳SAはふらりと気軽に立ち寄れる。北陸自動車道に付設するのだが、国道365号からも入ることができる。冬場のお勧めは“近江長浜セット”。近江牛の肉うどんに焼きサバ寿司がついている。焼きサバは北近江の春の祭り頃の特別な食べ物だ。夏場には湯葉とネギ、地元のとろとろ山芋を乗せたお蕎麦とのセットに変えてみて欲しい。どちらも近江を美味しく堪能できる。
――余呉湖とその周辺には、そっと大切にしまっておきたいような美しい景観があり、訪れたい場所がある。春夏秋冬それぞれに異なる趣きがあって、何度も訪ねたくなる。