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新近江名所図会

新近江名所圖會 第280回 安土城下町を訪ねて 近江八幡市

概要
安土といえば、織田信長が天下統一の拠点として築城した安土城が有名ですが、今回は、特別史跡安土城跡の見学の際に立ち寄れる、安土城下町跡の一部についてご紹介します。
安土城が築かれた安土山は、東海と伊勢・北陸と近畿のほぼ中間地点に位置するため、各地区からの多くの人や物の交流が同時に把握できた場所でした。また、湖上交通を利用すれば、京都やそれまでの信長の本拠地であった岐阜へ敏速な移動が可能であった、水運においてもたいへん利便性に優れたところでもありました。

安土城の西側に造られた城下町の範囲については、諸説ありますが、北は琵琶湖に接し、西は「西の木戸」の小字名が残る浄厳院付近、南は大字小中にある鉄砲町付近であったとされています。城下町には、中・下級武士や町人・職人などが居住していました。
城下町にあった外港の一つに常楽寺港があります。信長は近江守護職であった佐々木氏が築城した観音寺城の港を、そのまま安土城下町に取りこみました。常楽寺港は、信長亡き後も利用され続け、昭和初期頃には、琵琶湖を周遊する蒸気船の寄港地となっていました。

現在は、常浜(じょうはま)水辺公園として水路や石垣が整備され、水辺を散策できるようになっています(写真1)。
常浜水辺公園の南側の地域には城下町当時の掘割が今でもよく残っています。さらに南に遡ると、信長が茶会に用いた水が湧き出る「梅の川」などの湧水に行き当たります(写真2)。

写真2:掘割
写真2:掘割
写真1:常浜水辺公園
写真1:常浜水辺公園

◆おすすめポイント
セミナリヨ跡は、信長の庇護を受けたイタリア人宣教師オルガンティノが天正9年(1581年)に設立し、安土城炎上の際に焼失したとされる、日本最初のキリシタン神学校の跡地です。現在は、一部が公園として整備されています。
この場所は、小さな入り江を埋め建てた場所であったことが、『フロイス日本史』(戦国時代末期に日本でキリスト教の布教活動を行った宣教師-フロイスによる歴史書)に記されています。
周囲には現在も幅の広い水路などが残り、当時セミナリヨへは、船を利用しても行くことができたと推測でき、水路網が巡らされていた城下町当時の様子をしのぶことができます(写真3・4)。

写真4:神学校の図
写真4:神学校の図
写真3:セミナリヨ跡
写真3:セミナリヨ跡

◆周辺のおすすめ情報
JR安土駅東側に隣接する万五樓では、信長の愛刀の鉄鍔をかたどった最中「まけずの
鍔」が販売されています。滋賀羽二重餅を香ばしく焼き上げた皮に、町内で湧き出た湧水をふんだんに使用して作った二色の自家製餡が詰められています。どっしりとした食べ応えのある大きさで、1つ150円でした(写真5)。

◆アクセス
【公共交通】
JR琵琶湖線安土駅から、万五樓へは徒歩2分。常楽寺港へは、徒歩15分。セミナリヨ跡へは、徒歩20分。
【自家用車】
常楽寺港跡(常浜水辺公園)には駐車場あり、名神高速竜王I.C.国道8号線経由(約20分)、蒲生スマートI.C.国道8号線経由(約15分)。セミナリヨ跡には、駐車場なし。常楽寺港からセミナリヨ跡へは徒歩20分。

写真5:まけずの鍔
写真5:まけずの鍔
田中咲子

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