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新近江名所図会

新近江名所圖会 第312回 繖山のパワースポット-近江八幡市 観音寺城・観音正寺

近江八幡市
写真1:観音正寺境内
写真1:観音正寺境内

観音寺城は近江守護佐々木六角氏が戦国時代に整備し、住まいとした城です。観音寺城跡は構造が独特で、評価のむずかしい城でした。山城なのに曲輪をひな壇のように整然と配列してそのあいだを登城道が直線に貫通しています。容易に山上へ攻め込める構造になっていて、とてもじゃないけれど堅固な城とはいえません。これら曲輪群はなんの目的で築かれたのか?日本最大級の規模を誇り、石垣を多用した数少ない戦国山城であるゆえ、この謎には早くからいろいろな方が解釈を試みました。
ところが10年あまり前に、数人の研究者のご努力で多数の中世山寺跡が県内に残っていることが判明し、山寺遺構の構造が急速に解明されました。そして、この観音寺城跡の曲輪群には中世山寺と共通するところが多く、これらは観音寺城跡の真ん中にある観音正寺の遺構に由来するにちがいない、という説が提唱されました。私もこの説に賛成ですが、発掘調査などにもとづいて実証するのにはまだ少し時間がかかりそうです。

その観音正寺、明治初めに彦根城楽々園の欅御殿からその一部を移築したという本堂は平成5年に焼失し、本尊の千手観音立像(重文)や聖徳太子創建伝承にかかわる人魚のミイラとともに失われてしまいました。関係者のみなさまのご無念は想像にあまりあります。現在は平成16年に本堂(写真1)と本尊が再建されています。

◆おすすめPoint

写真2:磐座
写真2:磐座

観音正寺の本堂は戦国時代末期から江戸時代初期にかけて有為転変があったようです。細かなことはともかくとして、それより前の、つまり中世の本堂はいまとは異なる場所にあったと推測されます。その場所は現在の庫裏の背後の高い場所にある曲輪(伝三井邸と呼ばれるところ)だろうと思われますが、いまは低木と竹が茂っていて往時のようすをうかがうことはかないません。かわりにオススメしたいのが、繖山の磐座(写真2)。ふもとの老蘇の森(古くから著名な歌枕として国史跡に指定)にある奥石神社を里宮として、そこから遙拝した繖山のご神体(あるいは依り代)そのものであるパワースポットです。磐座には観音正寺奥の院にあたる磨崖仏(写真3)を祀った岩穴があります。平安時代後期の作とされる磨崖仏は彫りが浅く、見て確認するのは難しいかもしれません。
奥の院には観音正寺の参道途中の鳥居(写真4)から登るより、お茶子地蔵から尾根筋のハイキング道にはいって「佐佐木城址」碑(写真5)から降りて磐座にいたるのが安全です。立ち入りは禁じられていませんが、観音正寺の聖域にあたる場所ですので、マナーを守って拝観したいものです。

写真3:奥の院磨崖仏
写真3:奥の院磨崖仏
写真4:奥の院入り口
写真4:奥の院入り口
写真5:「佐佐木城址」碑
写真5:「佐佐木城址」碑

◆周辺のおすすめ情報
車でお越しの場合は、国道8号線西老蘇交差点のひとつ東の交差点から、北に曲がると観音正寺参道、南に曲がるとすぐに史跡「老蘇の森」と奥石神社へいたります。

◆アクセス
【自家用車】 観音正寺へは、参道下の「石寺楽市」(土産物店)に駐車して長い石段をのぼるか、
石寺林道または川並林道(いずれも有料)をとおって 境内近くまでのぼるのが便利です。
【公共交通機関】 タクシーか徒歩に限られます。
JR安土駅から西麓まで行き、桑実寺-観音寺城跡-観音正寺-南麓の石寺-安土駅のコースをたどると、
約9kmの健脚向きハイキングとなります。(伊庭 功)

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