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新近江名所図会

新近江名所圖會 第357回 京立ちの守山泊り―守山宿を訪ねて―

守山市
写真1 東門院
写真1 東門院

中山道は、江戸日本橋を起点として京の三条大橋に至る、江戸時代に整備された街道です。京都から江戸へ下る場合、徒歩で一日目の行程にあたるのが、今回紹介する守山(もりやま)宿になります。天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳(なかせんどうしゅくそんたいがいちょう)』をみると、当時の守山宿は、両隣の吉身(よしみ)村と今宿(いまじゅく)村の加宿(かしゅく:小さな宿場で人馬を賄いきれない所は隣接する村にも人馬の負担を課した)を含め、家数415件、うち本陣2件、脇本陣1件、旅籠屋30件と記録されており、大規模な宿場であったことがうかがえます。
宿場内には、中山道に面して東門院(天台宗)が建てられています。延暦7年(788年)に最澄が比叡山を創建する際に東西南北の四境に門を構えたとされ、その東の門にあたるのがこの地であると伝えられており、「守山」の地名の元となりました。江戸時代には、朝鮮通信使※の宿泊所になるほどの大きなお寺でしたが、昭和61年(1986年)の火災により、本堂や多くの仏像が消失してしまいました。しかし、現在でも、境内にある石造五重塔(鎌倉時代作、国指定重要文化財)や、護摩(ごま)堂の木造不動明王坐像(平安時代作、国指定重要文化財)、仁王門の仁王像(室町時代作)を見学することができます。
※朝鮮通信使:室町時代から江戸時代にかけて、李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団。

写真2 道標
写真2 道標

おすすめpoint
東門院から東に3分ほど歩いた、中山道が枝分かれしている場所には、石の道標があります。延享(えんきょう)元年(1744年)に建てられたものです。このころに建てられた石造道標は少ないのでたいへん貴重な資料となっています。道標には、「右 中山道并美濃路(なかせんどうならびにみのじ)」・「左 錦織寺(きんしょくじ)四十五町 こ乃者満(のはま)みち」と刻まれています。つまり、この道標の右側へ進めば、当時美濃路とも呼ばれていた中山道へ行き、左側へ進めば、野洲の錦織寺(錦織寺までの距離は、4.9km)や琵琶湖岸の木浜(このはま)へ行くことができました。

周辺のおすすめ情報
道標からさらに東に5分ほど歩いた場所に、「うの家(け)」があります。元内閣総理大臣の宇野宗佑(そうすけ)氏が生まれ育った町屋を市が譲り受けた建物です。もとは造り酒屋であったため、大正3年(1914年)に建てられた米倉(東倉)や、酒の瓶詰め倉(南倉)などを見学できます。カフェやレストランも併設され、お土産も売っています。私はここで、値段の手ごろな守山メロン飴(1袋300円)を買ってみました。守山市の名産であるメロンの果汁が練り込んであるもので、なつかしい味がしました。

写真3 うの家
写真3 うの家

アクセス
【公共交通機関】JR琵琶湖線「守山駅」下車、「守山駅西口」から徒歩約10分
【車】名神高速道路「栗東I.C.」下車、約10分、無料駐車場はにぎわい広場奥にあり(8台、9時~17時)。
◎問い合わせ先
東門院→077-582-2193、
うの家→077-583-2366(9時~17時、第1・第3火曜日定休)
《参考文献》 守山市立教育研究所『ふるさと 守山めぐり』昭和63年
(田中咲子)

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