新近江名所図会
新近江名所圖會 第377回 近場で多様な遺跡や文化財を満喫!―鏡山の星ヶ崎城とその周辺(後編)―
前回(名所圖會第376回)は鏡山の登山口あたりの見どころをご紹介しました。
ここからは少々山道を登っていくこととなります。山道をマイペースに15分ほど歩くとT字状の分かれ道となり、右手に行けばすぐに星ヶ崎古墳、左手に進めば星ヶ崎城(ほしがさきじょう)へと続きます。星ヶ崎古墳は全長約27mの小規模な前方後円墳で、周辺からの遺物が確認されていないため築造年代は不明です。よく地形を観察すれば、前方部から後円部に向かってくびれ、後円部がマウンド状になって円形に広がっていることが読み取れます(写真1)。
星ヶ崎古墳を後にしてもう一息進むと、ようやく星ヶ崎城に到着です。星ヶ崎城に関わる具体的な記載はほとんど残っていないため、城が辿った詳細は明らかになっていません。伝承によると、築城者は蒲生郡側の在地土豪であった鏡氏とする説があります。また、近世前期に成立した当地の軍記物語によると、永禄9年(1566)に起きた観音寺騒動により、六角氏に反旗を翻した有力家臣のひとり、野洲郡の永原(ながはら)氏が永原城などに立て籠もります。これに対して六角承禎(じょうてい)は星ヶ崎城に入り、永原氏と対峙したとされます。
現地で見ることができる星ヶ崎城の遺構で特筆すべきものは、長さ約30mに及ぶ石垣です(写真2)。城郭に石垣があって当たり前のものとなる段階よりも古い、戦国期の構築と推測されます。自然石・割り石を一層ごとに積み上げ、石材の隙間に間詰石を詰めて丁寧に仕上げる石垣は見応え抜群です。
さらに、主郭からは西~北方への眺望が利き、眼下の旧中山道を押さえるこの場所に城を築いたことが納得できる立地となっています(写真3)。(取材時は降雪により視界不良でしたが…。)
最後に少々マニアックな視点をご紹介。星ヶ崎城には立派な石垣が構築されている一方で、山城に普遍的に築かれる堀切や土塁といった定番の防御施設がまったく見当たらないのです。このことについてはいくつかの解釈があるのですが、真相はいかに? まだまだ明らかになっていないことがたくさんあります。
◆周辺のおすすめ情報
星ヶ崎城周辺だけでも多数の見どころがありますが、山麓の道の駅から国道8号を挟んだ北側には、源義経が元服した際に参拝したと伝わる鏡神社があります。鏡神社は源氏の祖である新羅大明神=天日槍(あめのひぼこ)が祭神として祀られています。また、本殿は南北朝時代の建築で、国の重要文化財に指定されています。併せてこちらもご参拝されることをお勧めします。
(小林裕季)
◆アクセス
・道の駅竜王かがみの里より、登山道入り口まで徒歩1分、西光寺跡まで徒歩約2分。星ヶ崎城へは徒歩約20分。
・道の駅竜王かがみの里へは
【自家用車】名神竜王I.C.より10分
【公共交通機関】JR近江八幡駅より湖国バス:八幡村田線約20分、JR野洲駅より湖国バス:野洲アウトレット線約10分、道の駅竜王かがみの里下車。