新近江名所図会
新近江名所圖會 第433回 高島市大溝に残る水道遺構
人が生活するために必要なものの一つに「水」があります。前回紹介した水道遺構(第279回「旧逢坂山隧道東口に残る上水道遺構~南部水道」)に続いて、高島市大溝に残る近世の水道遺構を紹介します。
大溝の町並は、天正7年(1579)に築かれた大溝城と城下町が原型となります。元和5年(1619)に大溝へ入封した分部光信が、廃城となった大溝城三の丸に陣屋を築き、城下町を再整備しました。これが現在も残る大溝の町並になります。【大溝城と大溝陣屋の詳細は、過去の紹介(第202回「大溝城と大溝陣屋を訪ねて」)を参照してください。】
今も残る町並は、「郭内」とよばれる陣屋や武家地、そして町人地に分けられます(図1および図2)。おおむね、武家屋敷は北西から東南に広がる矩形の地割内に配水され、町人町は北東から南西に広がる短冊型地割(道路に面して間口が細く奥行きが長い地割)内に配水されています。


大溝陣屋町の頃に整備された上水道は、①背後の山を水源とする山水を引き入れた場所と(図1緑色の範囲)②扇状地端部から湧き出る水を引き入れた場所(図1青色の範囲)に分けられます。①は郭内の用水として使用されたため「殿さんの水」と呼ばれ(写真1)、②は町人町の用水として使用されました。このシステムは改良されながら現在も運用されており、平成27年(2015)には「大溝の水辺景観」のひとつとして、重要文化的景観に指定されています。
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このように、江戸時代から連綿と続く水道ですが、②のシステムは江戸時代中期に構築され、配管によって各家庭に配水されるなど、改良されて使用されています。私が学生時代の調査で訪れた時は(1991年頃)、道路中央にある水路に水道チューブが配管されて、各家庭に水を供給していました。また、それ以前は竹管を使って各家庭に配水を行っていました。
それでは、大溝陣屋町が造られた江戸時代初期は、どのような方法で配水していたのでしょうか。そのシステムを推測することができる情報が、近代の村絵図に残されています。
図2は、「高島郡第拾一区勝野村全図(年代欠)」の情報を現代の地形図に転写したもので、大溝陣屋廃城後の町割や水路が明瞭に描かれています。その情報のなかで、陣屋町を流れる水路に注目してみました。
図2に記された青色の線が水路で、大溝の町中を貫流していることがわかります。その中で町屋にある街路の中央を流れている水路(図中A)があります。この水路は現在も大部分が残されており(写真2)、「大溝の水辺景観」を構成する要素のひとつになっています。この水路は西にある山中や北にある小田川、またはその周辺の湧水を水源とする上水路と考えられます。街路の中央に上水路を設置する事例は、他の城下町(◆おまけ、参照)にもあることから、初期の町屋地区は家の前にある水路から取水していたのでしょう。

他の水路を詳細に観察すると、短冊型町割の背後に流れる水路(図中B)があります。この水路はAの水路と交わることなく町の外へ流れていることがわかります。これは、生活排水を処理するために各家庭の背面を流れることから、他の城下町でも造られた「背割下水」と呼ばれる排水路と考えられます。このように大溝町には上水と下水を分離する水路システムが存在したことがわかります。
今回は、絵図の情報から大溝陣屋町の排水システムを推測してみました。絵図を詳細に観察すると、他にも興味深い情報がのこされていますが、機会があれば紹介したいと思います。
◆おまけ
大溝のような、近世に造られた上下水システムは各地に残されています。背割下水は大坂城城下町で現在も使用されている排水路(「太閤下水」)が有名です。
大溝に似た上水道のひとつに、群馬県甘楽郡甘楽町の小幡に残る「雄川堰」があります。開削された時期は不詳ですが、織田信雄の系譜にあたる小幡藩によって小幡陣屋が築かれたとき、雄川堰を再整備して武家屋敷や町人町に水路を通しました。今でも旧陣屋町の通り中央に用水路が残っています(写真3)

◆おすすめPoint
〔総門〕大溝陣屋の郭内(陣屋と武家屋敷)と町人町の出入口に設けられた長屋門(細長い建物を持つ門)に付けられた名称です。大溝陣屋の正門であり、唯一残る建造物ですが、廃城後は民家として再利用されていました。高島市の有形文化財になったあと、復元工事が行われました。2024年4月に陣屋時代の姿に復旧した総門が公開され、建物内に「大溝まち並み案内処 総門」と資料室が設けられています(写真4・5)。


(調査課 神保 忠弘)
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