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新近江名所図会

新近江名所図會 第214回 県内随一の優美さを誇る(と思っている)古墳―竜王町雨宮古墳

竜王町
図 雨宮古墳の測量図(竜王町史掲載図から作成)
図 雨宮古墳の測量図(竜王町史掲載図から作成)
写真1 美しいライン―段築と斜面
写真1 美しいライン―段築と斜面
写真2 前方部頂上の平坦面と木漏れ日
写真2 前方部頂上の平坦面と木漏れ日

滋賀県内には,現在約900箇所で約4000基の古墳が確認されています。この中で,私が個人的に県内屈指の優美さを誇ると思っている―あくまで個人的な意見ですが―古墳をご紹介します。それは,竜王町岡屋にある雨宮古墳です。
この古墳は,岡屋の集落東端,山之上の集落に近い台地の先端部付近に築かれた大型の古墳です。墳丘の平面形態は,円形の主丘部に短い「前方部」が取り付いた「帆立貝」のような形をしています。墳丘全長は約82mをはかり,県内の古墳の中でも比較的大きな部類に入ります(ちなみに,最大級は近江八幡市安土瓢箪山古墳で約134mです)。残念ながら,雨宮古墳は,古墳のまわりを取りまく濠(周濠)の前方部側(南側)と,濠の外側にめぐる堤(周堤)の西側を失っていますが,墳丘は完存しています(図)。平成5年には,滋賀県史跡に指定されました。
東近江市木村古墳群等のように,古墳の墳丘を修復・復元し,葺石を設け,埴輪を立て並べて,古墳が築造された当時の姿をきれいに復元整備した事例も悪くはないのですけれども,林のなかにあって,除草等の手入れがなされた古墳は,時の流れを感じさせる深遠な雰囲気があるように思えますし,なにより落ち着きます。
この雨宮古墳は,まさにそうした古墳の一つなのです。この古墳の場合,いつ見学にいっても,墳丘上の下草がきれいに刈りとられていて,墳丘のラインを立木の間からうかがうことができます。きっと地元の方々が定期的に除草をされているのだと推察します。そうした地域に守られた古墳だからこそ,墳丘の構造を観察するにはうってつけなのです。
後円部では墳丘の途中にテラス状の平坦面がまわり,それを境にして上下二段に墳丘が構築されるという墳丘の構造(二段築成)を視覚的に理解できます(写真1)。また,斜面と平坦面を実際に歩いてみることで,実体験としても段築を理解できるのです。さらに,前方部(写真2)が後円部にくらべて低く,その上面が段築のテラス面に相当することもわかります。後円部の頂上にのぼると,広い円形の空間がひろがっています。その中心には古墳の被葬者が眠っているはずです。前方部を振り返ると,前方部頂上の空間を望めます。
この古墳は,正式な発掘調査が実施されていないので,被葬者が眠る埋葬施設の構造やそこに納められたであろう副葬品の実態はまったくわかりません。ただ,滑石製勾玉1点と埴輪の破片が墳頂部付近で採集されているだけです。埴輪の破片は,わずか数点ですけれども,古墳の時期をさぐる重要な手がかりとなります。竜王町教育委員会のご厚意で,破片を詳細に観察させていただきました。すると,破片は土管状の円筒埴輪の破片や家の形をした埴輪の一部だとわかりました。また,表面に残された調整の痕跡や,外面の黒い焼ムラ等の特徴から,古墳時代中期前葉頃のものであることもわかりました。
先日,あらためて雨宮古墳を訪れました。雨宮古墳の位置からは竜王町に広がる平野部を北側に望めます。さらに,古墳の西側を流れる祖父川をさかのぼると,南の野洲川中流部に到達します。この川沿いのルートは,野洲川流域-さらにはその先の東国へのルートにつながる古いルートであった可能性があります。竜王の広い沃野とそこを通過するルートを治めた首長がこの古墳の被葬者だったのでしょう。その人は,じつに1600年以上にわたり,この竜王の平野を静かに見守ってきたわけです。古墳の主がこれからも人々の生活を見守りつづければ,またこの美しい古墳がこれからも守られればと,古墳の上で考えていました。(辻川哲朗)

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