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甲山古墳・石室内と家形石棺

新近江名所図会

新近江名所圖会 第108回 銅鐸の里は古墳の里-史跡大岩山古墳群(2) 桜生史跡公園

野洲市
野洲市小篠原・辻町

「桜生(さくらばさま)史跡公園」は、国道8号線の西側に面した丘陵地にあります。5~6世紀代に造られた天王山古墳・円山古墳・甲山古墳の保存と、学習や憩いの場としての活用を目的として整備されました。今回はこの公園内にある古墳を中心に、どちらも保存のために実施された発掘調査の成果に基づいて整備された大塚山古墳・宮山2号墳を含めた5基の古墳を紹介します。
これら5基の古墳は、扇状地に立地する大塚山古墳が5世紀中頃にまず築造され、天王山古墳・甲山古墳・円山古墳と続いて造られ、最も東に位置する宮山2号墳が造られた7世紀代が大岩山古墳群の終末期にあたります。
さて、大岩山古墳群の周辺には、桜生古墳群をはじめ、妙光寺山から三上山の山裾にかけて多くの古墳群があります。では、大岩山古墳群はこれらの古墳群とどこが違うのでしょうか? これまでに行われた発掘調査の成果から、ひとつは出現期から終末期までの大型古墳の系譜であること、もうひとつは形態や石室の石材、副葬品の内容・性格などから総合的に評価すると、野洲川右岸地域の首長墓の系譜であることが明らかなことです。大岩山古墳群のように、狭い範囲内で古墳時代を通じた同地域の首長墓の系譜を連綿と辿ることができるのは、実はとても珍しいのです。さらに、弥生時代の銅鐸祭祀にも繋がる可能性は極めて高いとなれば尚更です。

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大塚山古墳
大塚山古墳

三段築成の帆立貝形古墳である大塚山古墳は、発掘調査により、全面に葺石を貼っていたことや、東西に分かれる造出部に円筒埴輪や種類豊富な形象埴輪が多量に配置されていたことが明らかになっています。遠望するとこんもりとした森のようですが、整備された墳丘に近づくと、その大きさや三段築成の状況がよくわかります。

甲山古墳・石室内と家形石棺
甲山古墳・石室内と家形石棺

天王山古墳・甲山古墳・円山古墳は、子供の頃にはちょっとした秘密基地というか冒険心をくすぐる遊び場の一つでしたが、すっかりきれいに整備されました。甲山古墳・円山古墳では、横穴式石室に入ると自動的に照明が点灯して説明アナウンスが流れるので、石室内をじっくりと見ることができます。安置された石棺は、熊本県宇土半島産の阿蘇溶結凝灰岩で造られており、その巨大さに圧倒されます。また、円山古墳では、直接見ることはできませんが、生駒山系の一つである二上山産の石棺が使用されています。ちなみに、公園内のルート案内石標は、石室内の家型石棺をモチーフにしています。公園案内所裏の広場には大岩山古墳群の全容がよくわかる地形模型があり、案内所室内には甲山古墳の墳丘盛土造成の様子も生々しい断面土層の剥ぎ取りや副葬品の複製品などが展示されています。管理をされている地元シルバー人材のおじ様の話も聞けるかも・・・

家形石棺形案内石標
家形石棺形案内石標

最後の首長墓である宮山2号墳は銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)の敷地内にあり、発掘調査をして整備された横穴式石室の内部には自由に入ることができます。

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案内標識と中山道・甲山古墳
案内標識と中山道・甲山古墳

ここまで来たら、ぜひ、銅鐸博物館と弥生の森歴史公園(第21回)また、桜生史跡公園の西側にある新幹線と平行する道路は、江戸時代の五街道の一つ中山道です。取材に行った日も、街道を歩く方を多く見かけましたが、古墳には興味がないのか素通り。中山道を往来した昔の旅人も目にしていた古墳群なので、是非お立ち寄りください。

旧中山道沿いの家並み
旧中山道沿いの家並み

その中山道を北へ向かうと、「地蔵堂」や「村社・篠原神社」の森があり、「平宗盛卿終焉之地」や「義経元服池」、道のえき「竜王かがみの里」と、見所いっぱいです。時間と体力に余裕と自信があるお城好きには、桜生古墳群と古墳の墳丘を土塁に活用した桜生城跡や、石垣が残る小堤城山城遺跡(城山山頂)もおすすめです。

アクセス

・JR琵琶湖線野洲駅下車南口から野洲市内循環バス「村田製作所・花緑口縁」行き「三ツ坂」または「辻町」下車徒歩10分
・名神高速道路竜王ICから国号8号線を経由して約20分「希望ヶ丘文化公園」交差点の南西約400m
・桜生史跡公園案内所には駐車場(10台)・駐輪場完備。トイレもあります。


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(小竹森直子)

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