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長浜市港町/明治山旌忠碑

新近江名所図会

新近江名所圖会 第129回 「明治山」という祭祀空間 ~長浜市・明治山旌忠塔~

長浜市
(長浜市大島町)
長浜市港町/明治山旌忠碑
長浜市港町/明治山旌忠碑

今回御紹介する長浜市大島町の明治山旌忠(せいちゅう)塔とは、当協会の『紀要』第25号(2012年3月刊行)で、筆者が紹介した戦争記念碑です。戦争記念碑とは一般的に、「忠魂碑」「忠霊塔」などと記された、戦死した従軍兵士を慰霊するための碑・塔を指します。国内最古級の戦争記念碑は明治10年(1877)の西南戦争後に建てられていますが(大津市の園城寺南の御幸山中にあります)、日露戦争を契機に各地で建立が相次いでいきます。
滋賀県内には、100基近くの戦争記念碑が現存していますが、なかでもこの明治山旌忠塔は規模も大きく、意匠も凝ったものです。『紀要』第25号では、この塔が建てられた背景について紹介しましたが、大正12年(1923)に建立されたこの塔の揮毫が乃木希典のものであったことから(乃木希典は大正元年(1912)に明治天皇の崩御に伴い殉死します)、なぜ乃木の遺墨を使用したのかという点について考えてみました。推測の域は出ないのですが、明治山旌忠塔が建てられた場所は、現在は陸地化していますが、当時は琵琶湖に突き出た半島状の地形でした。そのため、日露戦争の激戦地である旅順を想起させる場所であったと考え、その場に建てる日露戦争戦死者のための慰霊碑には、旅順攻略の指揮官であった乃木希典の揮毫がふさわしいと当時の関係者は思い至り、ゆえに乃木の遺墨を使用したのではないか、と推測しました。当時の関連史料が発掘されれば、事の正否は自ずと明らかとなりますが、大枠については現状では訂正の必要はないかと考えています。

おすすめPOINT

長浜市港町/明治山旌忠碑03
長浜市港町/明治山旌忠碑

しかしながら、執筆段階ではまったく失念していたのですが、この明治山旌忠塔にはもうひとつ大きな問題が潜んでいました。それは入口にある鳥居です。昭和11年(1936) 3月10日の陸軍記念日に併せて建立されたことが柱に刻銘されています。
一般的に現在、戦争記念碑は、寺社境内の一角あるいは学校などの公共施設の脇(かつては施設用地内にあったものが戦後に移設されたようです)などに建てられています。例えば、神社境内に建てられたものについてみてみると、それは神社という祭祀空間の中の一つとして置かれたものであり、戦争記念碑そのものが祭祀の対象として存在しているわけではありません。しかしながら、明治山旌忠塔の周囲には祠堂などは存在しません(昭和9年(1934)に寄進された燈籠はあります)。つまり、鳥居は旌忠塔、ひいてはそれを含み込む空間のために建てられているわけです。このことは、近代社会の人々が明治山旌忠塔を祭祀の対象として、平たくいえば神社に参拝するのと同じような気持ちで接していたのではないか、現段階で筆者はそんなふうに考えています。
戦争記念碑研究というジャンルはまだまだ新しいもので、方法論も模索中の段階ですが、このような小文が忘れかけられつつある近過去の歴史遺産について、皆さんが考える契機となったならば幸いです。

周辺のおすすめ情報

慶雲館については第29回で紹介しました。すぐ近くに長浜港があり、竹生島への定期観光船が発着しています。北国街道・長浜城もあります。長浜城は博物館になっています。

アクセス

【公共交通】JR琵琶湖線長浜駅から徒歩約10分。
【自家用車】北陸自動車道長浜ICから約15分。付近に豊公園の駐車場(無料)があります

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(松室孝樹)

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