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鎮守の森

新近江名所図会

新近江名所圖会 第149回 鎮守の森の古墳-追分古墳-

草津市
(草津市追分)
鎮守の森
鎮守の森
野上神社
野上神社

街道の分岐点をあらわす「追分(おいわけ)」という地名は、全国各地にあります。草津市にある追分は、古代東山道と東海道の分岐点近くにある集落です。岡田追分遺跡では、奈良時代から平安時代にかけての古代東海道に面した集落跡が発見されています。現在では、新興住宅地が数多くありますが、集落の中には、昔ながらの大きな長屋門や蔵が残る屋敷地が残っています。そんな集落の南端に、野上神社の鎮守の森があります。鎮守の森は50m四方程度で、3mほど盛り上がっています。これこそが、追分古墳です。

社殿背面の墳丘のなごり
社殿背面の墳丘のなごり

大正15年(1926)には、墳丘中央部にある粘土槨の主体部から、鏡・刀剣・斧・銅鏃・鉄鏃などが出土しました。鏡は行方知れずとなっていますが、銅鏃の形態的な特徴から、草津市内では最古級にあたる4世紀末(古墳時代前期)に築かれたと考えられています。古墳の南東側は社殿により削り取られていて、当時の姿は不明瞭でしたが、昭和57・60年(1982・1985)に行われた発掘調査により、周囲に幅5.5m~7.0mの周溝を持つ直径38mの大規模な円墳であることが明らかになりました。また、周溝から円筒埴輪が多量に出土したことから、築造当時は墳丘にこれらが飾られていたことも明らかになりました。
草津市内では、墳丘が残る古墳はあまり多くはありません。しかし、発掘調査では数多くの古墳が発見されています。時代を経るにしたがって、水田を拡大するために多くの古墳は墳丘が削られ、周溝は埋められて地上にその姿をとどめることがなかったのです。そんな状況の中でも今もその姿をとどめている場所が、村の鎮守の森です。野上神社の追分古墳のほかに、草津市内でも鞭崎神社境内古墳群(矢橋町)、大宮若松神社古墳(南山田町)、山田正八幡宮(北山田町)境内の五条古墳群、印岐志呂神社古墳群(片岡町)、小槻神社(青地町)境内の部田古墳群などがあります。

周辺のおすすめ情報

ヘソ塚
ヘソ塚

追分古墳の近くに、以前から気になる場所がありました。住宅地の中にある「田白(でんぱく)ヘソ塚児童公園」。公園の片隅には、ヘソ塚の名前の由来ともなっている墳丘状の高まりがあります。ここにも、古墳が残っているのか!と思って調べてみると、「田白古墳(別名ヘソ塚)」であることがわかりました。しかし、平成元年度の発掘調査では、塚の盛土から寛永通寶3枚のほか、おおむね18世紀中頃の陶磁器類が出土し、塚の下層からはそれ以前の溝などが発見されました。ということで、「ヘソ塚」は古墳ではなかったのです。では、遺跡ではなくなったかと言えばそうではありません。近世には集落の境界を示すためにこのような塚を造った事例があることから、追分集落の縁辺にあるヘソ塚も「ヘソ塚遺跡」として『滋賀県遺跡地図』に登録されています。追分の周辺には、岡田追分遺跡をはじめとして街道周辺に関連した遺跡がひろがっています。そんな歴史を感じる空間が、身近にあることを改めて実感しました。

アクセス

【公共交通】JR琵琶湖線草津駅から近江バス立命館大学・滋賀医大行き東矢倉二丁目下車徒歩8分
【自家用車】新名神高速道路草津田上ICから北へ10分(ただし周辺に駐車場はありません)

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(小竹森直子)

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