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木之本町大音一宮神社の鞘堂(元伊香具小奉安殿)

新近江名所図会

新近江名所圖会 第150回 地域に残る近代の足跡(2) -大音の奉安殿-

長浜市
(長浜市木ノ本町大音)
木之本町大音一宮神社の鞘堂(元伊香具小奉安殿)
木之本町大音一宮神社の鞘堂(元伊香具小奉安殿)

ガイドブックには載らない、でも隠れた歴史的名所を紹介するこのコーナーも、読者の皆様の熱狂的支持(?)によって連載150回を迎えました!!。やはり滋賀県、歴史を調べるにはネタが尽きない、素敵なマイホームタウンです。
そんなわけで思い出にふけりながらこのコーナーを改めて読み返してみると、自分が担当した回だけは異彩を放っていることも事実(第77・129回)。今回も、と思うといささか気が引けたのですが、性懲りもなく忘れ去られた近代遺産を紹介したいと思います。

「奉安殿」という名の建物をご存じでしょうか。歴史に興味をお持ちの方や戦前・戦中・敗戦直後に学校に通っていた方からは、「何を今さら」という反応が返ってくるかもしれません。ですが、ここで簡単に述べておきますと、アジア・太平洋戦争期まで官庁や学校にあった、天皇と皇后の写真(御真影:ごしんえい)と教育勅語が納められていた建物のことです。

木之本町大音一宮神社/鞘堂(元伊香具小奉安殿)
木之本町大音一宮神社/鞘堂(元伊香具小奉安殿)

明治15年(1882)頃から御真影の下賜は始まっていたようですが、当初は講堂や職員室・校長室に「奉安所」を設けて納められていました(今でも奉安所跡が残っている学校もあるようです)。しかし、災害により校舎が倒壊した時に御真影に危険が及ぶということで、奉安所を金庫型へ改造したり、あるいは今回御紹介するような「奉安殿」を建てることが進められたようです。全国的な傾向としては、大正期から昭和15年(1940)頃までに建てられているようです。
奉安殿の建築様式には、ギリシャ風建築 (コンクリート造り)や洋風建築(レンガ造り)、さらには旧来の神社風建築などがありましたが、御真影と教育勅語を災害から守ることを第一義として造られたことから、小型ながらも頑丈な耐火耐震構造を持ち、さらに威厳を損ねないように、荘厳重厚なデザインへと収斂されていったようです。
では、敗戦後、奉安殿はどうなってしまったのでしょうか?
滋賀県下における奉安殿の取扱いについては、木全清博氏によって具体的な事例紹介がなされています(木全2004)。それによれば、奉安殿を昭和21年7月から8月末までに撤去するように県からの指示が出され、それを受けて撤去されたようです。敗戦後1年が経過した夏の日に、滋賀県下の各学校から、奉安殿の多くは姿を消したようです。

おススメポイント

木之本町大音一宮神社の鞘堂(元伊香具小奉安殿)
木之本町大音一宮神社の鞘堂(元伊香具小奉安殿)

滋賀県内では現在、どれくらいの奉安殿が残っているのかはよくわかっていません。私も、確認しているのは偶然目にしている3例だけで、系統立った調査はしていません。少ない事例ながらもその3例を挙げてみますと、守山市焔魔堂町にある諏訪神社本殿の鞘堂(建物を風雨などから保護するため、外側から覆うように建てた建築物)、長浜市石田町石田会館内のもの、そして今回紹介する長浜市木之本町大音にある一ノ宮神社の鞘堂で、いずれもコンクリート製です。
大音の旧奉安殿は、本来は近くに所在する伊香具小学校の奉安殿として使用されていたもので、昭和20年に移築したとされています(神社前の案内看板に拠りますが、検証が必要だと思います)。ギリシャ風建築のエンタシスが荘厳な雰囲気を与えますが、いささか神社の鞘堂として、あるいは山際の農村風景の中ではミスマッチと言わざるを得ません。しかしながら考えようによっては、ミスマッチであれ撤去後破壊することなく再利用することで、はからずも過去の遺産が現在に残されているわけですから、これはこれで、ひとつの景観を作り出していると評価することも出来ます。
このように奉安殿は戦後、学校内からは撤去され、「ひっそりと」第二の人生を歩んでいることがわかります。私が確認しているのはまだ3例だけですが、そのほかにも、まだまだ地域の中に存在している旧奉安殿があるかもしれません。過去の歴史を伝える建物として、少なくとも記録化を図り、後世に伝えていく必要があるのではないでしょうか。

周辺のおすすめ情報

今回御紹介した旧奉安殿がある長浜市木之本町大音は、賤ヶ岳の麓にある静かな農村集落で、すぐ近くには賤ヶ岳古戦場があります。また、水上勉の小説『湖の琴』で有名な琴糸の生産を行っているほか、人気の料理旅館「想古亭源内」もあります。
さらに、来年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公、黒田官兵衛の祖は同町黒田地区が出自と伝えられていて、これから人気スポットになることは間違いなし!!。これから初夏へと向かう季節、ゆっくり湖北の歴史散策というのはいかがでしょうか。

アクセス

【公共交通】JR北陸線木ノ本駅下車、徒歩約30分。もしくは湖国バス深坂・菅浦線で「大音」下車、徒歩約10分
【自家用車】 北陸自動車道木之本ICから約5分(ただし、付近に駐車場はありません)
このほか、木ノ本駅前にレンタサイクルもあります。

より大きな地図で 新近江名所図会 第101回~ を表示

(参考文献)

  • 木全清博(2004)「「御真影」・「奉安殿」の撤去と修身・国史・地理の教科書回収の実態-滋賀県における「GHQ指令綴」から-」『社会科教育の創造-社会科教育研究室紀要-』第11号、滋賀大学教育学部社会科教育研究室
  • 清水太郎(2012)「「消えた」奉安殿を追って」『第76回 県史だより』鳥取県ホームページ

(松室孝樹)

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