記事を探す

新近江名所図会

新近江名所圖会 第16回 国分大塚古墳-住宅地の片隅に残る-

大津市
大津市国分1丁目
前方部の石室の天井石
前方部の石室の天井石

瀬田川の左岸、瀬田の唐橋を西側に20分程歩いた住宅内にある前方後円墳をご存知でしょうか。大津市立晴嵐小学校の西へ750mの東海道新幹線と名神高速道路に挟まれた国分一丁目の住宅内に、児童公園に接して金網にかこまれた一角があります。その内側に高さ2m程度の土の高まりの中に、平たい巨石で組まれた構造物が2か所確認できます。これが「国分大塚古墳」の石室です。現況から、本来石室を覆っていた墳丘の規模や古墳の墳形を想像することは容易ではありません(筆者が中学生の頃、田んぼの中に石室の見える森が残っていた記憶がありますが)。

おすすめPoint

後円部の石室の天井石
後円部の石室の天井石

実は、昭和48年に周辺の宅地開発に先立って確認調査が行われています。その結果、全長45m、後円部径32mの周囲に濠をもつ前方後円墳であることがわかりました。さらに最初に紹介しました巨石は、前方部と後円部にそれぞれ築かれた横穴式石室であることもわかりました。その後、周囲は宅地化されましたが、石室部分は保存されて現在に至ります。
この古墳に葬られた人物については、湖西地域を治めた和邇氏の首長の一人を、交通の要衝であったこの地に葬ったと考える説があります。6世紀中葉前半の古墳と考えられ、大津市内で最後に造られた前方後円墳で、市指定史跡になっています。

周辺のおすすめ情報

国分大塚古墳の北西約1kmに、11基の円墳からなる園山古墳群が分布しています。さらに周辺は「国分」という地名が示すように、(後期)近江国分寺跡(国昌寺跡)の推定地であり、また、詳細は不明ですが淳仁天皇の保良宮(ほらのみや)の推定地でもあります。
さらに国分大塚古墳の立地する丘陵上には、江戸時代に松尾芭蕉が4カ月間暮らした草庵である幻住庵が残されています。
瀬田川左岸の石山の一帯は、すっかり住宅地が広がり、古代の面影を求めることは難しくなっていますが、地図を片手に散策されてはいかがでしょうか(国分大塚古墳にたどりつくのは結構難しいかも)。

アクセス

【公共交通機関】JR琵琶湖線石山駅 京阪石坂線京阪石山駅から徒歩20分
京阪石坂線唐橋駅から徒歩18分


より大きな地図で 新近江名所図絵 第1回~第50回 を表示

(吉田 秀則)

Page Top