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本堂跡の礎石

新近江名所図会

新近江名所圖会 第164回 山の中につくられた謎多き寺院 -長法寺跡-

高島市
(高島市高島町鵜川)
本堂跡の礎石
本堂跡の礎石

滋賀県は周囲を山々に囲まれ、山に登れば眼前に琵琶湖を見渡すことができます。山の中には、滝や湧水のあるところなど、神聖な雰囲気が漂う場所があります。こうした「聖地」ともいうべき場所の近くには、比叡山延暦寺に代表されるように、かつては県内各地で多くの山寺が造られていました。今回はそうした山寺の中でも、大規模なお寺であるにも関わらず実態が明らかになっていない、長法寺跡をご紹介したいと思います。

直線道路沿いの石垣
直線道路沿いの石垣

長法寺跡は高島市鵜川にあり、鳥居が琵琶湖の中にあることで有名な白髭神社の裏手の山中に、「遺跡」となってひっそりと眠っています。廃絶したのち、ほとんど人の手が入らない状態となってしまい、『近江輿地志略』などに「長法寺跡」としてわずかに記載があるだけで、詳しい所在などもほとんどわからないままでした。しかし、昭和31年(1956)に滋賀県立高島高等学校歴史研究部によって再発見され、遺跡として周知されるようになりました。
創建は、嘉祥2年(849)に長法寺の鎮護の神として坂本(現在の大津市坂本)から山王権現を勧請して創建されたと伝わります。確実な史料としては、弘安3年(1280)の裏書をもつ荘園絵図である『近江国比良荘絵図』に、滋賀郡と高島郡の郡境に一堂が描かれていることや、永享4年(1432)に延暦寺の円明坊兼宗という人物が長法寺の方丈職を務めていたことが挙げられます。そして、文明3年(1471)の寺坊の売券に「長法寺大品坊」とあるのを最後に消息は不明となります。以上のように、長法寺については、絵画史料や文献史料からは断片的な情報しかわかっていません。

おすすめポイント

寺坊の石垣
寺坊の石垣

さて、長法寺のみどころは、何と言っても山中に突如として現れる石垣を多用した寺坊群です。お寺の中心となる遺構は、谷筋からその斜面部に集中し、本堂跡から谷筋を参道とみられる直線道路が通り、両脇には石垣を伴って区画された平坦面が並びます。平坦面間は石垣のほかに、石塁や段差などによって別の敷地として区別され、道路沿いには出入口と考えられる石垣の切れ目があります。これらの寺坊跡とみられる平坦面には小さな池がある庭園跡も残っています。落葉によって埋もれていますが、現在も湧水があり、池の中央の中島に景石が立つものもあります。山の中であっても、かつては坂本の里坊のような多くの寺坊が連なっていた景観が想像されます。

庭園跡の池と中島
庭園跡の池と中島

また、お寺の中心域から東に約150mの地点にある小丘陵には墓域があり、落葉や倒木によって埋没が進んでいますが、方形の塚と、その周囲には石仏や五輪塔などの石塔が多数散在しています。長法寺は廃絶してほとんどそのままの状態で残されていますので、見どころは満載です。

中世墓に残る石仏
中世墓に残る石仏

周辺のおすすめ情報

長法寺跡のある谷筋を尾根まで登って尾根上を進むと、「下の鼻打」と呼ばれる峠や「馬の足形」と呼ばれる巨石があります。さらに進むと打下城への三叉路にたどりつきます。打下城は永禄年間(1558~1570)に土豪の林員清が築城したと伝えられ、織田信長による高島攻めに使用された山城です。現地には土塁で囲まれた曲輪や畝状空堀などの遺構が残っています。
長法寺跡へは、まず近江高島駅の南にある乙女ヶ池から西方に見える堰堤に向かいます。堰堤の手前に万葉の歌碑があるので、そこを麓沿いに少し進むと登山道があります(案内板あり)。少し長い山道が続きますが、所々に案内板が設置されています。見学コースは、乙女ヶ池(大溝城もついでにどうぞ)→長法寺跡→「馬の足形」→打下城→山麓の日吉神社がおすすめです(所要時間約6時間)。

アクセス

さほど山奥というわけではないものの、長法寺跡へは山道を約1時間30分程度歩かなければなりませんので、山歩きの装備と地形図などで下調べをしてから訪ねられることをおすすめします。

【公共交通】JR湖西線近江高島駅から登山道まで徒歩約10分

より大きな地図で 新近江名所図絵 第151回~ を表示
(小林裕季)

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