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安土城考古博物館

新近江名所図会

新近江名所圖会 第183回 博物館を取り巻く文化財

近江八幡市
安土城考古博物館
安土城考古博物館

安土城跡・観音寺城跡・瓢簞山古墳・大中の湖南遺跡の一つの特別史跡と三つの史跡からなる近江風土記の丘には、中核施設として滋賀県立安土城考古博物館があります。博物館では、考古と信長・城郭を中心とする常設展示のほか、特別展や企画展、講座や講演会、各種体験イベントが行われています。さらに、博物館の周囲には、重要文化財の建物1棟、県指定文化財の建物2棟が移築され、展示されています。

旧宮地家住宅
旧宮地家住宅

博物館に向かって左手にある旧宮地家住宅は、宝暦4年(1754)、長浜市国友町に建てられた江戸時代の民家です。湖北の農家の典型で「余呉型」と称されています。入母屋づくり、茅葺きの建物で、内部は入口から奥にかけて三つの部屋に区切られています。入口に最も近い部屋が「にわ」という土間で、炊事のかまどや臼、風呂、農作業の道具などがあります。真中に位置する部屋が「にうじ」で、現在の居間にあたります。地面に籾殻を15㎝ほど敷き、その上に筵を敷いて生活していました。一番奥の部屋は一段高く作られた畳敷きの部屋で、「ねま」と「ざしき」に仕切られています。昭和43年に重要文化財に指定されました。

旧柳原学校校舎
旧柳原学校校舎

博物館と信長の館との間にある旧柳原学校校舎は滋賀県最古の学校建築を移築したものです。明治9年(1876)に旧新旭町太田(現高島市)の小学校校舎として建てられました。1階は板の間の教室と畳敷きの客間で、当時の教科書などが展示されています。2階は畳敷きの事務室、3階の塔には時報用の太鼓と鐘が吊るされていました。水色の塗装・窓のブラインド・ベランダ・アーチ型の出入り口など、一見洋風の建築に見えますが、瓦葺きとこけら葺きの屋根、漆喰壁など、日本建築の要素も見られます。こうした建物は「擬洋風建築」と称され、明治時代に数多く建てられました。昭和34年に滋賀県の文化財に指定されました。

旧安土巡査駐在所
旧安土巡査駐在所

駐車場の左手にある旧安土巡査駐在所は、明治18年(1885)、近江八幡市安土町常楽寺に建てられた交番です。建設費用は地元の人々が寄付しました。初期の警察の建物として全国的に見ても数少ない例です。木造2階建てで、1階には板敷きの洋室と畳敷きの和室があり、台所や便所、風呂を備えています。2階には和室が2室あります。建物の角の石積みや1階正面のアーチ型の庇(ひさし)、2階の三角屋根など、海外建築の要素をたくみに取り入れており、これも「擬洋風建築」の一例です。平成15年度から18年度の4年計画で滋賀県が修理事業を実施し、平成20年に滋賀県の文化財に指定されました。
以上三つの建物は、博物館の開館時間中ならば自由に内部を見学することができます。また、旧宮地家住宅の横には屋根付の多目的広場があります。

周辺のみどころ

石灯籠・道標・車石・礎石
石灯籠・道標・車石・礎石

旧柳原学校校舎の隣には、平成17年に県立琵琶湖文化館前から移された石灯籠2基・道標1基・車石14点・礎石5点が屋外展示されています。
石灯籠は、1基に「元禄十丁丑歳」(1697)、もう1基に「寛政六年甲寅」(1794)の紀年銘があります。とくに後者は「大津米屋中」によって寄進された4基のうちの1基で、現在も2基が大津市大谷町・逢坂付近の国道1号線沿いに残されています。
道標は、もともと東海道と伏見街道の分岐点にあたる大津市追分町に建てられていたものです。車石は旧東海道の逢坂峠に設置されていたものです。この車石は、荷車の運行の利便のため、京都の心学者脇坂義堂が文化2年(1805)に一万両の工費を投じて、大津八町筋から京都三条大橋に至る約三里の区間に設置したものです。礎石のうち4点は近江国分寺跡で出土したものと伝えられますが詳細は不詳です。残りの1点は、近年近江八幡市安養寺遺跡で出土したものです。
歴史のロマンに思いをはせながら、鮮やかに彩る秋の近江風土記の丘を楽しんでください。

(藤崎高志)

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