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調査員オススメの逸品 第183回 古代の人々が使った祭祀の道具③ -斎串-

高島市
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上御殿遺跡から出土した斎串

古代の祭祀具に、斎串(いぐし)と呼ばれる道具があります。名前のとおり串状の形をしたもので、平らな板や細い棒を加工して作られています。祭祀で使用される「神聖な木」のひとつとして使われていたと考えられています。
高島市にある上御殿遺跡では、人形代、馬形代をはじめとする古墳時代から平安時代にかけての木製の祭祀具が出土しています。そのなかでも斎串は480点ほど出土しており、その数の多さに驚きました。人形代(122点)や馬形代(50点)などとの出土数での差が示すように、当時の祭祀では欠かすことのできない道具であったようです。
今回出土しました斎串は、様々な形や加工を施したものがあります。平らな板を加工して作られたものでは、両端を斜めに切り落としたもの(①:長さ14.3㎝)や、両端を尖らせたものがあります。両端を尖らせたものでは、側面上部などに切り込みを1回から複数回入れたもの(②:長さ12.3㎝)や、側面を三角形に小さく連続して切り欠いたもの(③:長さ30.2㎝以上)があります。また、先端を尖らせた棒状のもの(④:長さ16.4㎝以上)があり、これにも側面や上端に切り込みの加工が施されています。

igusi2(斎串②の切りこみ)
斎串②の切りこみ

斎串の研究については、黒崎直氏の「斎串考」(『日本考古学論集3 呪法と祭祀・信仰』1986株式会社吉川弘文館)が代表的な研究として知られています。それによれば、斎串は古墳時代(6世紀)から使用され始め、奈良時代の直前から平安時代にかけて増加する傾向があり、先にあげた様々な種類が見られるようになります。人形代や馬形代と同じく、奈良時代頃から国家的な祭祀の道具として使用されていったと考えられています。
祭祀の中での役割は、①祭祀を行う聖域を区画する、②神様への献げものを示す、③神様の招代といったことが文献史料から考えられています。『万葉集』には、「斎串立て 御酒坐ゑ奉る 神主部の 髺華の玉蔭 見れば羡しも」をいう短歌があります。神様への献げものであるお酒を、斎串を立てて作った区画に据え供えた様子や、供物として示すために斎串が立てられた様子をうかがうことができます。また、これらはいずれも神様に関わる場所や供物を示すことに使用されていることから、神様の依る「神聖な木」としての役割もうかがえます。
使用された祭祀は、上御殿遺跡のように人形代や馬形代といった祭祀具と一緒に川から出土することから、祓の祭祀の道具として使用されたと見られます。平安時代に編纂された『延喜式』には、人形代とともに斎串を示すとみられる「挿幣帛木」が祓の道具として記されています。また、井戸から出土するものは、可能性のひとつとして、串や杖を地面に挿すと水が湧き出たという伝承があることから、水を求める祭祀の中で使用されたとみられています。このほかには、平安時代の文献史料には、稲の田植えに際して水の取り入れ口でおこなわれた祭祀に「いぐし」が使用されたことが記されていることから、農耕に関わる祭祀にも使用されたとする研究もあります。
このように斎串は、多様な役割を持った祭祀の道具で、様々な祭祀の中で使用されていたとみられます。上御殿遺跡から出土した斎串は、出土した量や種類が豊富であることも、このような特徴によるものと見られます。他の祭祀具とともに、祭祀に関わる貴重な資料として注目されます。

(中村智孝)
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