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新近江名所図会

新近江名所圖会 第21回 大岩山銅鐸出土地―謎多き銅鐸大量埋納地―

野洲市
野洲市小篠原
大岩山銅鐸出土地
大岩山銅鐸出土地

1881年(明治14年)に、野洲市小篠原(桜生)の「大岩山」から銅鐸が14個も偶然掘り出されました。80年後の1962年(昭和37年)には東海道新幹線の土取り工事で9個の銅鐸が再び発見され、さらに別の地点では流水文銅鐸1個が出土していた事が後に分かりました。合わせて24個の銅鐸が出土したことになります。
明治の発見については、当時の草津警察署に提出された「唐金古器物」の発見届に詳しく記述されています。それによれば、山の中に遊びに行った子どもが青い葉っぱのような物を見つけ、竹の棒で掘り出したところ3個の唐金古器物(銅鐸)であることがわかりました。翌日、村の若者が11個を掘り出しています。
二人の少年によると、銅鐸は「山中の平地よりおよそ二尺ばかり一面面窪き場所」で「唐金古器物三個共入子ノ如くにして土中より発見」とあります。つまり、銅鐸は山の中の平地で60㎝ほど凹んだような場所で、深さ約30㎝に銅鐸3個が入れ子になっていたということです。
一方、昭和の銅鐸は、発見者からの聞き取り調査により、明治の出土地点からやや離れた場所からブルドーザーで土砂採掘中に発見され、まず6個、翌日には3個が入れ子状態で見つかっているようです。銅鐸の内面の観察により、土の付着状況や錆びの様子から鰭を上下に立て横向きに埋納され、それぞれ3個1組の入れ子状に埋納されていたとされます。

大岩山銅鐸出土状況
大岩山銅鐸出土状況

さて、ではなぜ、大岩山に24個もの銅鐸が集められ、そして埋納されたのでしょうか?この謎は、弥生時代の社会を考える上で、最大の謎のひとつともいわれ、さまざまな説が研究者によって出されています。大岩山に、湖西、湖北、湖東、湖南の銅鐸を集合させ、弥生時代最後の銅鐸祭祀を行ったとする説、近畿と東海を中心とする勢力の境に銅鐸を埋納して「守り」とした説、近江弥生社会の統合した祭祀を執り行うために銅鐸を集め、その祭祀の場として大岩山が選ばれたとする説、などがあります。

大岩山銅鐸
大岩山銅鐸

おすすめPoint

銅鐸博物館 (野洲市歴史民俗博物館)
銅鐸博物館 (野洲市歴史民俗博物館)

現在、大岩山そのものはその大部分が土取りによって消失してしまいましたが、現地には出土を記念した石碑が丘陵の東に据え置かれ、隣接して銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)が建てられています。なお、見つかった銅鐸のうち、昭和37年に出土した銅鐸は、現在滋賀県の所有になっており、銅鐸博物館と滋賀県立安土城考古博物館で、常設展示されています。また銅鐸博物館では、明治14年に見つかった日本最大の銅鐸複製品も展示・公開されています。
折しも来年は明治の銅鐸発見から130年の節目、安土城考古博物館では来春(平成23年春)「大岩山銅鐸」をメインテーマにした特別展を現在準備中ですし、同じく来年度中には銅鐸博物館でも「銅鐸」にまつわる展覧会が予定されています。  この機会に、是非実際に銅鐸をご覧いただき、銅鐸に込められた弥生時代の 人々の想いと、明治そして昭和に銅鐸を見つけた人々の興奮を感じていただけ れば幸いです。

周辺のおすすめ情報

銅鐸博物館がある弥生の森歴史公園は、銅鐸の時代(弥生時代)を学習できる施設で、高床倉庫・竪穴住居があり、古代米の栽培や土器の野焼きなども実施しています。また、「弥生の森体験学習」では勾玉作りをはじめ手軽な体験メニューが用意されています。
家族で「弥生時代」体験をしてみてはいかがですか?

アクセス

【公共交通機関】銅鐸博物館:JR琵琶湖線「野洲駅」下車、野洲市内循環バス(北・南循環)、近江バス村田製作所行き・花緑公園行き「辻町」または「銅鐸博物館前」下車
大岩山銅鐸出土地:「銅鐸博物館前」バス停から徒歩15分
滋賀県立安土城考古博物館:JR琵琶湖線「安土駅」より徒歩25分もしくはレンタサイクル約10分
【自家用車】銅鐸博物館・大岩山銅鐸出土地:名神高速道路竜王ICから約20分、駐車場あり


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(鈴木 康二)

参考資料
・『大岩山出土銅鐸図録』野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)2006
・『「國」淡海に建つ』近江歴史探訪マップ6 滋賀県教委・守山市教委・野洲市教委・栗東市教委ほか編 2005

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