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新近江名所図会

新近江名所圖会 第88回 浅井三代の城-小谷城

長浜市
長浜市湖北町伊部
本丸と京極丸との間の堀切
本丸と京極丸との間の堀切

小谷城は浅井三代の城として知られ、昨年の大河ドラマの主人公であった江の生まれた城です。佐々木六角氏の観音寺城や尼子氏の月山富田城などと共に、日本五大山城に数えられています。小谷城の縄張りは大変広大で、小谷山の頂にある大嶽(おおずく)丸を支点にくの字の形に広がる尾根にいくつもの郭が築かれています。しかし、これら全てが浅井氏の城であったかというと、どうやらそうではないようです。大嶽から伸びる尾根のうち、東側の本丸などがある尾根が浅井氏の「小谷城」であったようです。また、戦のない時は、このくの字に広がる尾根の間にある谷筋の居館で生活をしていました。
浅井氏の滅亡の後、湖北地域を任された豊臣秀吉が拠点をより琵琶湖に近い長浜城に移したことで、小谷城はその役目を終え、廃城になりました。そのため、正面側の石垣を意図的に崩すなど、破城(城割り)の痕跡が見られます。特に山王丸の正面石垣は破城の痕跡を色濃く残しています。また、城の部材は後に彦根城を築城する際に持ち出されました。
本丸を過ぎ、京極丸との間には尾根を断ち切った堀切があります。
当時、本丸には浅井長政が、堀切を挟んで北の京極丸には父の浅井久政がこもっていました。正面から城を落とせずにいた羽柴秀吉はこの2つの郭の間を狙って攻め込み、先に京極丸を落として浅井久政を自害に追い込み、そこから本丸を落としにかかりました。

浅井長政自刃の地
浅井長政自刃の地

ここは赤尾屋敷跡と伝えられ、長政が最後にこもっていた本丸の真下の郭にあたります。追いつめられた長政は切腹のために本丸につながる急な斜面を降り、この場所で最期を迎えたのでしょうか。

おすすめPoint

大石垣
大石垣

「破城」とは城を使えないように壊してしまうことを言いますが、小谷城のような大きな城を完全に壊してしまうのはとても大変です。そのため、目に付く正面側の石垣だけを崩して「この城は壊しましたよ」とアピールしています。山王丸の破壊された石垣の東側にそって郭を回りこむと、破壊を免れた高さ3mの大石垣が残っています。

竹生島遠景
竹生島遠景

また、桜馬場と名付けられた郭は大河ドラマのロケも行われた郭で、眼下の琵琶湖だけでなく、晴れた日には竹生島まで眺めることができます。
平成22年に滋賀県教育委員会と歴女ボランティアが作成した山城探訪マップは初めて小谷城へ登る人への見所がわかりやすく紹介してあります。

周辺のおすすめ情報

小谷城戦国歴史資料館

小谷城の麓にこぢんまりとした博物館があります。展示室も広くはないのですが、並んでいる品物は小谷城にやってくるお城好き・歴史好きにとっては気になるものばかりです。  昨年は大河ドラマの関連展示会場になっていましたが、今年からはまた浅井氏と小谷城に関する展示が行われています。
休館日:毎週火曜日・年末年始(12月28日~1月4日)・火曜日が祝祭日の場合は翌日の水曜日

アクセス

【公共交通機関】・JR北陸線河毛駅から、徒歩約30分
・河毛駅発 小谷山線コミュニティバスで歴史資料館前下車、徒歩約5分(資料館まで)
【自家用車】・(大阪・名古屋方面から)北陸自動車道長浜I.Cから国道365号線、もしくは県道265号線を北へ
約25分
・(福井方面から)北陸自動車道木之本I.Cから国道365号線を南へ約20分 国道365号線「郡上
南」信号を山側へ入って突き当たり

※小谷城の「番所」までは自家用車で行くことができますが、駐車スペースは非常に狭く、また途中の道もとても狭いので、麓に車を止め、徒歩で登ることをお勧めします。
また、小谷城はカモシカ生息地です。ずんぐりした体でゆっくりと歩いていますが、熊と間違えないように注意を呼びかける看板もあります。また、秋口は本物の熊も現れますので、熊よけの鈴などの用意が必要です。


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(伊藤 愛)

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