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新近江名所図会

新近江名所圖會 第434回 熊本県宇土半島から運ばれてきた石棺に秘められた謎 ー大岩山古墳群ー

野洲市

 皆さんは、約1500年前の古墳時代に、約800km離れた熊本県宇土半島の阿蘇溶結凝灰岩(あそようけつぎょうかいがん)(馬門石(まかどいし))で製作された刳抜式(くりぬきしき)の家形石棺が野洲市の国史跡大岩山古墳群の甲山(かぶとやま)古墳(6世紀中頃築造の円墳)と円山(まるやま)古墳(6世紀前半築造の円墳)の横穴式石室内にあるのをご存じでしょうか(「新近江名所圖会第108回」で紹介)。その大きさは、甲山古墳の石棺が長さ2.6m・幅1.6m・高さ1.9m(写真1)、円山古墳の石棺が長さ2.85m・幅1.46m、高さ1.83m(写真2)を測る巨大なものです。

写真1 甲山古墳の家形石棺
写真2 円山古墳の家形石棺

阿蘇溶結凝灰岩とは

 今から約9万年前、阿蘇山は活発な火山活動を繰り返し、大爆発を起こしました。この火砕流が堆積し、冷えて固まり岩層となったものを阿蘇溶結凝灰岩と呼んでいます。この岩石の色は、大半が暗い灰色をしていますが、全体からすると1%にも満たない宇土市網津町字馬門の岩層がピンク色を呈しています。この岩層の石材は通称ピンク石と呼ばれ、古墳時代の石棺として岡山県や大阪府、奈良県、滋賀県で見つかっています。

石棺の運搬に挑戦

 遠く離れた九州からわざわざ、どのような方法で石棺を運んできたのでしょうか。

 20年前の2005年にその謎を解明すべく、宇土半島で採石・製作された馬門石製の家形石棺を古代と同じ方法=古代船を復元して瀬戸内海を運搬しようという大プロジェクトが実施されました(「宇土市デジタルミュージアム」参照)。石棺は継体大王の墓と考えられている高槻市の今城塚(いましろづか)古墳(6世紀前半築造)から出土した家形石棺(長さ2.6m・幅1.3m・高さ1.6m・重さ6.7 t)を復元し、船は宮崎県西都原(さいとばる)古墳群第169号墳(5世紀後半)から出土した船形埴輪をモデルにした「木造準構造船」(全長11.9m、最大幅2.05m、重さ推定約6t)が復元されました。石棺を載せた丸太船を古代船で引くことになりました。

 また、石棺の製作場所から港までの陸上の輸送には、大阪府藤井寺市の三ツ塚古墳から出土した大型「修羅(しゅら)」を参考に二股のソリ「修羅」が製作されました。

 宇土マリーナを出発した古代船(15人前後の屈強な漕ぎ手)は、有明海から長崎県西岸、玄界灘、関門海峡から瀬戸内海へ入り、22か所の寄港地を経由。難航を極めましたが、出航から34日間(荒天日や漕ぎ手の休養日含む)かけて無事大阪南港に着岸しました。このように、当時の海運技術を利用した運搬が可能であることが実証されています。

 大プロジェクトはここまでですが、さらに甲山古墳や円山古墳までとなると、ここから難航を極めたことでしょう。やはり、陸路より水路を利用したのではないかと推測します。いわゆる淀川水系をさかのぼるルート=大阪湾(当時は河内湾)から淀川、宇治川を経て瀬田川から琵琶湖に至り、野洲川から近接する港に着岸したというルートが思い浮かびます。運搬ルートを推定することは可能ですが、その手段や方法は思いつきません。あの急流で浅い瀬田川をどのように遡ったのでしょう。

なぜ、わざわざ九州から

 では、なぜ宇土産の巨大な石棺をわざわざ運んでくる必要があったのでしょうか。その明確な理由は、よくわかっていません。

 研究者の間では、巨大な石棺の輸送している船団を沿岸で暮らす人々に見せつけることで、大王の絶大な権力を誇示したのではないか。また、大王や有力豪族の埋葬施設として近畿地方に運ばれた石棺の産地は、時期によって変化するという傾向が指摘されています。5世紀前後は兵庫県高砂市産の竜山石(たつやまいし)で造られ、その後、菊地川下流域(玉名市)の阿蘇溶結凝灰岩が、6世紀前後には馬門石が用いられています。どこの産地の棺を使うかは、大王の交替やヤマト政権を構成する有力豪族の台頭などを要因として変化したのではないかとの見方です。

 いずれにしても、はるばる彼方から巨大な石棺を運ばせた大王や有力豪族の絶大な権力に驚くとともに、それを可能ならしめた当時の人々の知識力と技術力には脱帽するしかありません。

 甲山古墳や円山古墳に葬られていた人物は、ヤマト政権との強力な関係を有する並外れた権力を有する人物だったのではないでしょうか。

《ご案内》

 現在、国史跡大岩山古墳群は桜生史跡公園として整備され、甲山古墳・円山古墳を見学することができます(月曜日休館)。通常、横穴式石室の入口(羨道部)から柵越しに石棺を見学することができます。なお、1年に1日だけ、11月頃特別公開の日があり、横穴式石室内に入って間近に石棺を見ることができます。残念ながら、今年はその公開日(11月16日でした)は過ぎてしまっていますが、来年以降、ぜひこのチャンスをお見逃しなく!

 また、公園内の案内所では「甲山古墳墳丘土層剥ぎ取り展示/遺物複製展示/大岩山古墳群写真パネル展示/古墳紹介ビデオ上映/円山古墳石室映像」を見学することができます。

《アクセス》

・JR琵琶湖線野洲駅下車南口から野洲市内循環バス「村田製作所・花緑口縁」行き「三ツ坂」または「辻町」下車徒歩10分
・名神高速道路竜王ICから国号8号線を経由して約20分「希望ヶ丘文化公園」交差点の南西約400m
・桜生史跡公園案内所には駐車場(10台)・駐輪場完備。トイレもあります。

                                   (事務局 吉田秀則)

★お知らせ★

 滋賀県立安土城考古博物館では、2025年11月29日(土)から、特別陳列Ⅳ「滋賀の縄文・弥生・古墳時代」を開催します(2026年2月1日(日)まで)。大中の湖南遺跡、安土瓢簞山古墳、新開1号墳など、滋賀県の歴史を知る上で貴重な資料を県内外の方にご覧いただけます。ぜひお運びください。詳しくはコチラ

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